日本古代のマサカキの暦及び其れに続く、アスス暦について。 | BARAFUKUHIME

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私はタロット占い師をしております、「薔薇福姫」と申します。

マルセイユ・タロットの王道を行く、カモワン・タロットの日本に於ける第1期生です。

\(^o^)/ 皆さまこんばんわ \(^o^)/

ほつまつたえの糸先生からの、

千葉富三先生説の暦についてのお話です。

ホツマの研究者たちはこの千葉先生の説を

支持して居られます。

縄文時代の暦
縄文時代の暦は、マサカキの暦の時代から始り、
アススの暦に遷り変っています。
 
①マサカキの暦について
この国を建国したクニトコタチ(国常立)は、マサカキという木を暦として使いました。
マサカキの木は別名スズの木(鈴木の謂れ)と言われます。このマサカキの木は1000本の枝を生やした後枯れます。クニトコタチはこの木が正確な年数を表すことを知り、これを暦の木と決めたと思われます。
クニトコタチは、1本の枝が生えるとこれを60年経過したとみなすと決めました。あとで説明しますが、この60年は今の60年の考え方と異なります。ですから1000本の枝が生えたときは、60000年(6万年)が経過したとみなしたわけです。
このマサカキの枝は、10年で5キ(寸)、60年で300キ(寸)伸びます。この300キを3タ(尺)といいました。また5キをホ(穂)と呼びました。枝が300キ(3タ)になると、次の枝が暦として使われました。こうして60年(60穂)のサイクルが生まれました。
最初の5キ(1穂目)をキアヱと呼び、最後の5キ(60穂目)をネウトと呼びました。
このキアヱが後に甲子(きのえね)となり、ネウトが癸亥(みずのとい)となりました。よって60年の間に1年ごとの呼び名があり、これが1枝(60年)ごとに繰り返されたのです。
 
それではこれらの年数が今の年数で表すと何年になるのか?それを読み解いたのが千葉富三先生です。
ホツマツタヱ28アヤの1に「五十鈴(イソスズ)の千枝(チヱ)の二十年(ハタトシ)」とあることから、千枝(1000枝)とは60000年(6万年)のことで、それは今でいう20年のことであると読み解いた訳です。ですから縄文時代にも1年という考えがあったということになります。
こう考えると、マサカキの木はとても神聖な木で、これで暦を創るということ(6万年、60年という単位であらわす暦)は、暦そのものがある意味で神聖な意味を持っているということになるのではないでしょうか。このマサカキ暦の始まりは千葉先生の説をとればBC11718(紀元前一万千七百十八年)となります。ホツマツタヱでは、この年が日本建国の年となるわけです。
 
②アススの暦について
この神聖な木マサカキの木の苗が無くなってしまう時代が来たのです。
それは50鈴1000枝20穂ネシトの時(BC698)でした。この為、暦を創って世に知らせる役人にとっては一大事となりました。そこでアメフタヱという役人が、新たな暦を創り梓の木に彫って神武天皇に奉りました(BC697)。
これをアススの暦といいます。この暦は今の太陽暦と同じです。神武天皇が即位した年(BC660)の37年前のことです。よって神武天皇以降の歴史は、今の西洋歴の年数と一致します。