ダム湖も半世紀以上(60年)経つとそれなりに社会に影響を及ぼして来たのでしょう。

このダム湖は人家を移転することもなく、建設に反対する人も無く、県企業庁が造り管理してきました。

主たる目的は発電用だったと考えられますが私は伊勢平野の灌漑と防災用ダムだととらえています、発電所は近年電力会社に譲渡されました。

私が10歳くらいのときに湛水が始まり、今まで一度も枯れることが無かった日本有数の多雨地帯に有るこの人工湖が及ぼしてきた功罪には何があったでしょう。

堰堤から上流10キロの湖畔の景観は大きく変わりました。

清流が流れていたのを覚えている人は私より3、4歳下まででしょう。

今年還暦を迎えるような若い?世代はもちろん、65歳で企業の呪縛から解き放たれ田舎に戻ってきた人たちは此処に清流が流れていたことを知りません。

水没範囲に植えられた杉が大木の壁になって立ち塞がり元々見通せた川向うの景色を奪いました。

水力発電が生んだ電気エネルギーは積算すればどれほどになるのでしょう。

下流域の農家は水不足に泣くことも無く洪水の心配も忘れられたことでしょう。

湖の景観を好む人やバス釣りの好きな人がどれほど訪れたことでしょう。

アユなど降海魚の遡上が阻害され漁業者や遊漁者をどれほど失望させたことでしょう。

子供たちから川遊びを奪いボート遊びに変化した過ごし方はどちらが良かったのでしょう。

行方不明者や犯罪被害者がいったい何人湖底に沈んでいるのでしょう。

不法投棄されたゴミはどれほど溜まっているのでしょう。

土砂をさらい続けた砂利屋はどれほど自然からの利益を掠め取り役人の懐を肥やしてきたのでしょう。

村の将来を悲観して堰堤を爆破しようとたくらんでいた中学生は、長い都会生活の末に田舎に戻ってきて何を想うのでしょう。

この写真は何?

父けんちゃんが何処かで貰ってきたボートの20hp船外機のスクリュー駆動シャフトです。

片側のスプライン軸が首のところでポッキリと折れています。

僕たちは鏡のような湖面をボートで快調に進んでいたんです。

今のように濁っていない透き通ったエメラルド色の湖面でした。

漕艇場に張られた標識ロープにスクリューを引っ掛けシャフトが折れるまでは。

ひときわ高いエンジン音を発してボートは推進力を失いました。

スロットルを開けてもエンジンが唸るだけでボートは進みません。

僕たちは仕方なく水面を手で掻いて入り江の秘密基地に戻ってきました。

そのとき化石燃料が行っていた仕事量を実感出来たのです。

分解してみたJohnsonの船外機は当時の日本製に比べると垢抜けた設計と作りであったことを子供ながらに覚えています。

この細いシャフトでも高速回転すると20hpもの力を伝えられるんだと。

オートバイでは世界を席巻してしまった日本も、レジャー分野には疎く海外製品に一日の長があった時代でした。

その後シャフトは新品に交換され私はボートに乗ったりオートバイに乗ったりして遊んだのです。

あのボートも湖底に沈んだままになり折れたシャフトだけが今も残っています。

時が止まったように年月が流れ去って、喜びも悲しみも、希望も絶望も、すべてが湖底に沈んでいます。

今このダム湖の水を一度洗いざらい流し切って欲しいと望む村人が多いのです。

私も是非そうしていただけないかと思うのです。

何かそれを行うことに不都合があるのでしょうか?有るんでしょうね。

ため池も時には水を抜いて堆積物を一掃するものですけれど。

いったいどれだけのものが湖底に堆積しているのか、一度この目で見てみたいのですよ。