収拾がつかなくなりそうなのでこのあたりで収束させて終演とする。

誰かが私たちの行動を良く思わず批判している。

そして批判の矛先は直接私たちに向けられずジムを運営する町当局に向けられた。

管轄部署の責任者は悩んだ末に双方を納得させる方法を考え出した。

私たちに別の会場を提供することにして善意による出禁通告をしてきた。

ところが私たちはそれに従わず問題は解決せず責任者は悩み続けた。

後で伝え聞いたところでは苦情の電話が入ることに怯えて夜も眠れなくなっていた。

この状態の継続は好ましいものでは無いと、行動を起こすコミュニティのメンバーが出始める。

ジムの手狭感を少しでも緩和しようと、

今までの定例の場から離れ別のスケジュールで運動を続ける者。

町が提供してくれた体育館に移って行く者。

そのように各自の問題意識が町民間トラブルを防ごうとする行動を起こさせた。

今まで指導的立場であったO女史はその変化をどう受け止めているか。

彼女は離れていった者を"卒業生"と言い表し、応援する立場を変えていない。

彼女が居なかったら卒業生も生まれなかった。

そして新たな新入生を迎え入れることにも躊躇することはない。

彼女がみんな健康であって欲しいと願う鉄の意志はまったく変わらない。

健康について彼女は町の第一人者であることは間違いない。

元々この町営ジムの設立は彼女たち元教師グループ(病に倒れたお隣の奥様も)が民間のスポーツクラブを町に誘致しようとした運動がきっかけになって実現したものだった。

いろいろ私がうがって書いてしまった笹川良一やギャンブル資金など、好ましくない要素が大きく影響したものでは無かった。

O女史が批判するジム運営に直接携わる部署の人達の怠慢な意識も特出したものでは無く、この町ではごく普通のものである。

https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12907923637

ジムの一角に残ったキッズルームは今後、新設された屋外遊具等で体調を崩した子供達のクールダウン室として、たぶん一度も使われることなく存在し続けていくことでしょう。

https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12913201784

この物語(なの?)には悪人は一切登場していない。

すべての登場人物は純朴で善良で自己犠牲精神に富んだ田舎の人達である。

苦情電話で担当者を不眠症にした主についてはどうなの?

https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12886635508

不正義な行動をする人は此処の土地ではやがて生息していけなく成っていきます。

降り掛かった火の粉を払う以外、ことさらにその正体をつきとめて糾弾しようとは誰も思っていません。

田舎の村の些細なトラブルですが、このように大人の常識ある対応で解決していくのが本来人間の有るべき姿なのです、戦争してる国家間の問題も一緒ですよ。

其処の首長はどうなってんだよって?

年明けに町長選なんだよなあ。

対抗馬が続々手を挙げてますが町民に意識変化は起こるでしょうか。

 

最後に前向きな事件の解説を。

この事件に悪人は存在していない。

O女史が糾弾する役場職員も、私がこけにしている町長も、町民も。

皆精一杯のことをしているんです。

皆善良な人なんです。

但し、もう一歩踏み出すことが有っても無駄にはなりませんよ。

でないと人間ってつまらない人生のまま終わるでしょう。

今の世界に囚われてしまうと気持ち良く終末は迎えられないでしょう。

すべてがO女史や、妻のようになれと言うのは酷なことだと思いますが。

能力にかかわらず精一杯のことをやったと実感できることは必要なんですよ。

永遠に成長し続けるという資本主義の誤った概念に長く支配されてしまったんです。

そんな魔法のような他力本願な世界など実在しません。

この村は自主財源なんて無いのも同然です。

ほとんどの生存活動は交付金頼りの生活保護村(ピッピー)だと諦めているんですよ。

産業も無く、働き口もなく、子供も少なく、将来は無い、オワコン村だと。

それは今後もっとはっきりしてくるのですよ。

現在の主力である団塊世代が死に絶えたとき、いったい何が残るんでしょう。

団塊世代は誤った概念に支配されて生きてきてしまいましたが、居なくなったときその弊害はもっと大きく表れてきますよ。

連綿と続いてきた補助金行政に終止符を打って、新たな価値観に基づく自立村にしていかないと本当に孤独死して終わってしまいます。

この村には豊富な自然が残り、原発も近くに出来無かった幸運を持ち、日本の中で数少ない"安心して住める地域"になっているのです。

そういうことを町民が共通認識し、過去を知り未来を創る誠実な生き方をしていくことが、村が生き延びる為の方程式を解く唯一の方法ではないでしょうか。

明るい未来に向かう過渡期の衝突がこの小さな事件の真相だったと私は思いたいのです。