戦う人であるO女史は町長への直訴に出ようとした。
自分が理想とし正しいと思うことが挫かされた現実を町長に伝えれば、何らかの作用が及ぼされると考えたのでしょう。
彼女は自分の考えを纏めた手紙を持って町長に面会を求めた。
しかし、良識有る役場職員に止められた。
"あの"町長に手紙を渡しても側近の者に「読んでおけ」で終わりますよ、分かるでしょう?、そう言われてそれはそうだなと思い直した。
町長は町長である前に彼女の教え子の父親であり人物像は承知していた。
そこで、ジムの管轄部署の上部組織である教育委員会の教育長に面会を申し入れた。
教育長は良くできた人物であって、たぶんおそらく私の手紙(メール)も読んでいただろう。
じっくりO女史の話を聞いてくれたようだが、詳しくは彼女がしゃべらないので私は詳細について分からないが、教育長に「今後すべて私に言ってきてください」と言われたのは事実であるようだ。
そして、私が要望書に上げたジム拡張以外の些細な要望が未だ実行されていないのに関わらず、O女史が教育長との面談の場で述べた小さな要望事項は翌日に実行された。
その件に関してO女史はこう言った。
「私は前から役場内では要注意人物にされているのです、前の副町長が辞めたのはたぶん私のせいだと思います、貴方のことを町は何も気に留めていないけれど私には気を遣っているのよ」。
そのような過去を語ったのはO女史初めてのことだった。
確かにこの町に来た頃に副町長が突如すげ替えられたことは私も記憶していた。
このことは私だけが聞いたのであって他のメンバーが知っていたかどうかは知らない。
そのときからO女史は「町民のことを思っている私の要求が叶えられなかったのは単に直接ジムの運営にたずさわっている者達の怠慢であってめんどくさいだけですよ、怠惰な人達なのよ」そう公言してはばからなかった。
それをメンバーや町の人達がどうとらえたのか、心の中のメカニズムまでは分からないがメンバーには明らかに意識変化が生まれてきた。
続く