私はこのように思っていたんですよねO女史のことを。
良く解っている人だなあと。
ところがですねえ、
最近O女史はこの電気椅子に自ら座りに行ってるんですよ。
何百万円もする(少し大げさ)電気椅子を知り合いが買ったそうで頻繁に座りに行ってるらしい、お土産持って。
球技をやっていて肉離れを起こしてしまいその治療の為であるらしい。
おぼれたときは藁をもつかむ、か。
骨折しても医者には行かず自分の治癒力だけで直すと言い切るO女史なのに。
でも「余り効果が感じられないのよね」そう言うと、すかさずk氏が、
「それは電気が足らんのや」
さすがk氏だ、ある意味真理を突いている。
音が出たり、熱が発生したり、時たま煙りを噴くくらいでないと機械は信頼?出来ないですからね。
私はどう思っているのか?。ですか、
O女史と私がケンカ別れになっていないのは、昔私が思っていた人間の分類方法が作用しているからです。
今の私は世の中には2種類の人間しか居らず、その分類法は原発に賛成か反対かのそれだけで全ての事象はその影響下にあると、しかし昔は文系か理系かの分け方をしてたんです、男か女か、善人か悪人か、などは関係なく。
O女史は個人情報の暴露は一切しない人ですが、会話の端々に文系を匂わせる人で、理系の私とはケンカになる要素が共通しないのです。
そのため世間の噂ではすでにO女史と私はできてることになっていて、知らぬのは本人だけな訳です。
で、私がどう思っているか?でしたね、電気椅子のことをね。
それはもう”リブログ”した内容通りで変わらないんですよ。ハハハ
O女史が科学分野を語るときには私は眉に唾をつける必要もないのです。
電気や機械のことはもう私のROMに焼き付いていますから外野が書き換えることは出来ません。
しかしO女史にとってはまだ未開発な分野であるらしく電気椅子にも未知なる可能性?を見つけようとしているようなんです。ウフフ