戦国時代瀬戸内海を支配していた村上海賊(水軍)。
そのミュージアムがしまなみ海道が走る大島(今治市)に有りました。
先日行った尾鷲の大配(オハイ)も九鬼水軍が居たところだったのですが、
島国の日本にあっては海賊の発生は必然だったのでしょう。
村上海賊は瀬戸内海芸予諸島の現在しまなみ海道と呼ばれて橋でつながった島しょ部に生息して、その地形を上手く利用して瀬戸内海全域を支配したようです。
一般的にイメージされる海賊(パイレーツ)として船を襲い金品を略奪する無法者集団ではなく、海上交通を仕切って海外との交易にも寄与した政治的な存在であったようです。拠点にした海が穏やかな瀬戸内海であったことから九鬼水軍とは若干性質は異なるかも知れません。
いずれも戦国時代に活躍していたことから、戦闘能力は長け、水軍と言って良い存在だったのでしょう。
綺麗な景色のしまなみ海道だったのですが、ぐっすり眠っていて写真も撮っていなかったんですよね、この一枚だけ。ハハハ
今治市村上海賊ミュージアム
水軍の武器として焙烙玉(ほうろく)と呼ばれる陶器製手榴弾の展示が有りました。
少し興味が有りました(昔々学生の頃農薬の酸化剤と木炭粉等を混ぜて様々な容器で威力を試していましたので)。
木造船の攻撃には有効だったと考えられます。
シェルを強固な金属で作った場合火薬のエネルギーは破壊されたシェルの破片を高速度で飛び散らすことになるでしょう。木に対してその細かい破片はあまり有効に作用してくれないように思えるのです。西部劇で撃ち合っている場面ではよく木樽や柱に隠れていますからね。
シェルが陶器製の場合は爆発すると直ぐに割れてしまい火薬のエネルギーは行く場を失い火炎となり熱エネルギーとして放散されるでしょう。
船底板を直撃出来れば金属手榴弾も威力が発揮出来るでしょうが、そんな無防備な構造では無かったでしょう、それより木造の船の何処かに火をつける方が確実だったと思われます。
太平洋戦争末期に日本が作った陶器製爆弾は金属不足による代用であって適性に添ったものでは有りませんでした。
優れた適性を見つけ出せるのが人間が進歩した理由なんですけど。
戦争は適性を上手く使えなくする非効率な行為であり、地球の寿命を縮めてしまうのです。
防衛費増が早まりそうな気配ですが、困るなあ、タバコ本当にやめなあかんやんか。
