町営ジムという、大人が健康を維持するための運動施設に、不似合いな「キッズルーム」が儲けられた理由は私が常々感じているこの町の人達の子どもへの考え方が作用しているのです。
以前書いた「タケノコ事件」に見られるように。
https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12907923637
この記事のように周辺自治体の人達もそれを知っているのです。
この町は子どもを大切にし過ぎているのです。
盲目的な過保護なのです。
子供に期待しすぎているんです、たいした人間なんかになりはしないのに(ピッピッ、イエローカード)。
それが子供達が都会に出て行って、企業に囚われてしまい二度と村には帰って来れない一因なのです、私のように。
企業のための人材派遣村になってしまっているのです。
そんな町の状況を町民自身が良く解っていないのです。
30年前に統合されて作られた立派な小中学校を見てください、その中学校が全校生徒32人になってしまうことは当時でも十分予測出来たはずです。
でも作られたのです、それが町民の総意だったわけです。
生徒の送迎バス運行に異議を唱えた人には「子供を歩かせて交通事故に遭ったらあんたが責任を取ってくれるのか?」そんなめちゃくちゃな感情論理がまかり通っている町なのです。
自分達を犠牲にしても子ども達には施しをしたいのです。
老人は子供と同じく本来は大切にされるべき立場のはずが、この町では子ども達の犠牲になっているのです、自ら好んで。
僻地ゆえのことなのでしょうか。
したがって、行政は何事も子供抜きには図れないのです。
このジムの設計書に「キッズルーム」が書き加えられたのもそんな町民への忖度からなのでしょう。
私はこの町の大多数である高齢者にもっと自分自身に優しくあってほしいのです。
子供は野に放っておいても育ちます。
子供に囚われて犠牲になるより、自分自身がもっと楽しむべきです、貴方のための年金なんですよ。
生き生きとした高齢者の多い町になってほしいのです。
私は町への意見要望メールに、実際に有った事である「タケノコ事件」を書いて、そんな町民に忖度する町の行政に変化の兆しが表れることを願ったのです。
ジムの管轄部署は生涯学習課であり、お隣は子ども教育課です。
その上位に教育委員会があります。
私の子供政策への意見は当然それら部署に伝わり、私は村八分の異端者にされることを自ら望んだのです。
ジムに現われた生涯学習課長はまっ先に、「あのご意見なのですが・・・実はちょっとね・・・」と言葉がつまりました。
「解っていますよ、私個人の戯れ言ととらえていただいても結構ですよ」
そう言ってあげると、ホッとしたような表情に変わりました。
具体的要望事項であるジムの容量拡大案については、検討してみる旨の返事がされたのです。
続く。