裏庭に柿の木が3本有る。

次郎柿だと父母に聞いていた。

子供の頃に有った富有柿の思い出が私には有る。

学校から帰ると直ぐ裏庭の柿の木に登って、一番美味しそうな大きな実を採ってかぶりついた。それは田舎の実りの秋の楽しみのひとつだった。

「柿の木は折れやすいから気をつけよ、ミカンの木は折れないから大丈夫だ」

そう、父は絶対外してはいけないことだけは教えてくれる人だった(今も生きてるけどね)。

今はその木が次郎柿に変わっている。

その柿の実はもう私には食べきれない。

自然に落ちて腐って来年の実に生まれ変わる。

毎年繰り返されていることだ。

今年はその輪廻転生、廻り続けるマンネリ化に変化を加えてみた。

「収穫」というものをやってみた。

何故なら、、、まあ、暇だったから。

ジムに来てる人達にあげようと200個くらい収穫した。

私にとっては毎年たくさん実が成っては落ちて掃除するのも厄介なもの。

だが、ジムに来てる皆が「ありがとう」と言って貰ってくれた。

そうだったんだ。

私の周囲には柿など見向きしない農家の人が多いが、ジムに来る人は普通の消費者感覚の人だった。

人の価値観というものを計り知るのは難しいものなんですね。

 

200個とってもまだこの状態なんですよね。

減ったの?って。

直ぐにミカンも控えているんだけど。