行政とゴミ屋の関係は切ろうと思っても切れない側面を持ちます。

人が生活するとゴミが発生するのが必然で有り、行政は人の生活の快適さのためゴミを排除せざるを得ないのですが、ゴミ屋にとってのゴミとは自身の生活の糧なのです。片や不用物が片や生活の糧なのですからゴミという物を正当に評価するには双方の価値観のすり合わせが必要になるのですが双方共に勘違いをしているのが現状です。

現在は諸外国が他国のゴミを受け入れることは有償であれ逆有償であれ無いものとして国はゴミについての設計図を作らなければならなくなっています。

ゴミの定義がどうなのかには関係せず、質量の有る物質であるのですから移動、保管、加工にコストがかかるのは必然です。

ここで「今日の新聞」です。

 

私達家族にとっては大変辛い時期で、その辛さに輪をかけてくれたような事件だったのですが、A級戦犯だった祖父の孫の”彼”の妻が名誉校長なんだからゴミの上で子ども達を遊ばせるわけにはいかんだろうと、ゴミ撤去に大金かかるから値引きしろよと国に8億円余を値引きさせた国有地と、使われることの無かった校舎を国は一般に売り出す決定をした。

そこで再度ゴミの量を推計したら当時2万トンとも言われていたのが5千トンに減っていたそうだ。

長く寝かせておくとゴミが減っていくのかというとそうでは無く当時の推計が怪しいとの見解で、多分に当時の”アッキー”(初登場?)効果だったようだ(私の推測)。

何にしろ”彼”も亡くなり国葬で葬り去ってから久しく、こんな物件は早く処分してしまいたい(忘れ去りたい)のが国の本音であるから、あのときの2万トンは食べ損なったけど今回の5千トンは何とか食べたいものだとゴミ屋やダンプの運ちゃんはよだれを垂らしている。

y市の石●産業がゴミ屋に売ったフェロシルト(県がお墨付きを与えた土壌埋戻材)は1トン150円であったが逆に3000円を運搬費として支払っていた。

物価高騰の折りだが過当競争で運搬費据え置きとして10トンダンプ一杯が3万円、500台のダンプの運ちゃんのパチンコ代がまかなえるということだな(差別臭きっついなあ)。

そういえば”彼”の「アベノマスク」ですが、ゴミ箱ポイせず今も未開封で持っていたらプレミアついて高く売れるそうですよ。ハハハ