今年春に友人と3人で訪れた奥飛騨のとある湿原でボランティア管理人の若い女性とお話をしていて、三重県から来たんだよと話すと、数日前に三重県尾鷲市九鬼の「オハイ」に言ってきたと言う。

「オハイ?」、何それって、私達はいわば地元なのに3人とも知らなかったんですよ。

何でも、綺麗な海岸が有るんだそうです。

海の無い岐阜県の、それも雄大な山々に囲まれた奥飛騨の人にとって海は魅力的で私達より豊富な情報を持っているようでした。自然を愛する個人の特性でもあるのでしょう。

女性2人で日帰りでオハイを観てきたと聞き、私達も日帰りでほぼ同じ距離を逆方向にやってきて、この素晴らしい湿原を観ていることに偶然の縁を感じたのです。

これは是非オハイに行くべきだと思ってはいたんですが、何時でも行けると(そんなに甘い所では無かった)今頃になって友人と二人で行ってきました。

戦国時代の九鬼水軍発祥の地であり陸の孤島とも呼ばれた九鬼の集落へは道路が整備され楽に到着できましたが、そこからオハイの海岸へは山道を2時間も歩くことになります。

遭難者が出たのでしょうか?設置されていた登山届けを出し、熊よけの鈴を身につけて出発します。

その登山道沿いに今でも沢山の石垣が残っており、昔の人々の生活があったことがうかがい知れます。

標準より少々時間がかかった高齢登山の末ににたどり着いたのが以下の風景です。

柱状節理の切り立った絶壁とオハイブルーと呼ばれる海です。

人工物はまったく見えません。

実はこの風景で思い出しました。

若い頃に船で渡して貰って身動き取れない狭い岩の上で一日中釣りをしていたことを。

今は釣り人を排除しているのか一人も見かけませんでした。

 

 

現在はこのような手つかずの自然の風景に価値を見いだし感動することを楽しみにする人達が増えてきたのでしょう。

このオハイも誰かがその美しさをSNS等で発信して脚光を浴びるようになったのではないでしょうか。

登山道も誰かが整備してくれている形跡が見られました。

それにしても、遠く離れた奥飛騨の湿原の管理人さんが此処に日帰りでやってきていたとは。

往復700キロを車で走り往復4時間の山道を歩いて。

それほどに手つかずの自然が残っているということは貴重なことなんでしょう。

もし此処に行ってみたいと思ったなら充分な情報収集と準備をし、常に注意を怠らずに行ってください。

熊の目撃情報が寄せられていますし、岸壁から足を滑らしたらたぶん死にます。

私も缶ビールは1本だけに留めましたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

植生に関する考察を追記します。

オハイに向かう山道に残る石垣に生えた木に興味が向きました。

石垣側面から伸びた木には2種類の生え方がありました。

石垣を根が包み込むタイプと石垣内部に根が進入しているタイプです。

アンコールワットなど古代遺跡に見られるように植生はいずれ強固な建造物も破壊していくのですが、木の種類によって破壊方法に違いが有ることが分かります。

石垣外壁から力づくで崩していくものと内部に入り込み崩していくものと上手く分担されているようです。

尚、此処に残る石垣は単に民の生活のための住居や田畑用に積まれたとは思えない、城壁に近いような技術で強固に組まれているように見えました。

外敵を想定していたのでしょうか?

九鬼水軍の鉄甲船にも結びつく何らかの理由が有ったのかも知れないですね。

 

 

 

私達が視察に行った日、偶然にも遭難者の救助訓練が行われていましたのでその動画も貼っておきます。