お隣のAさんの奥様がくも膜下出血で倒れてからまもなく3ヶ月になる。
救急車で運ばれたのはこの地域で最も信頼できる日赤病院でした。
偶然病院の近くに居て命は助かったと聞いていました。
意識が戻らないままの妻のもとに毎日面会に行っていたAさんの胸中を想うと私は胸が痛みました。
毎日異なるわずかな妻の反応に一喜一憂しておられました。
私は多系統萎縮症だった妻の症状との共通性を感じ、妻との意思疎通の方法等について話して少しでもAさんが安心できるようにと祈りました。
Aさんにとって居ても立っても居られないような日は流れていきます。
そんなAさんの気持ちに応えるように奥様は徐々に快方に向かってきたようです。
急性期病院である日赤は治療をやり尽くしたと判断し、リハビリを主体とする病院への転院を促してきました。
受け入れ先病院が条件としている胃瘻手術が施され、奥様は現在この地域で最もリハビリ環境に優れた病院に入院しています。
Aさんは毎日行っていた面会行動を控えられるまで心は落ち着いてきたようです。
Aさんにとって頼りになるのが他県の大病院でソーシャルワーカーをやっている娘さんの存在でしょう。
娘さんは自身の仕事を調整して頻繁にAさんのサポートに来てくれています。
医療と介護の専門家である娘さんは母親の入院先病院での3ヶ月ルール適用も先読みして現在動いておられます。
私の妻も闘病中には有能なサポーターに恵まれて助けられましたが、Aさんには身内に有能なサポーターが居るのですからとても心強いことでしょう。
でも現在置かれた状況を完全に消化するまで心が立ち直っているかどうかは私にはわかりません。
奥様の脳には以前から何らか得体の知れない危険が内包されていたことを、ご夫婦はもちろん周囲もわかっていたのです。
若い頃は運動好きで活発な人だったのが、散歩中に何度も転んでしまうようになってしまいました。直近ではAさんに散歩も止められていました。
スポーツジムに通ったり器具を買い込んで屋内で運動していましたが一向に良くなってきません。
私には奥様は快方に向かうことのない病気の妻と重なりました。
現在の入院治療が終わっても、又そんな元の状態に戻るだけです。
元気だった昔にはもう戻れない。
Aさんの居間の壁に貼られた、たくさんの家族写真を眺めながらそう思ったんです。