先日ジム仲間と健康食バイキングに行ってきました。
車で30分の所に有った店の存在を私は知らなかった。
豆料理主体の店で1700円はちょい高かな。
豆腐は各種揃っていて総じて素朴な田舎料理で美味しかったです。
制限時間90分を果てしなくオーバーした認知症特権は次回出禁になってるかも。
このとき、ひろこちゃん85歳は私の冷房の効かない危険な車に同乗して行ったんです。
高齢者は冷房車は寒くていやだという人も多いですね、この猛暑でも。
私が「自動車なんか無くなってしまえ」「自動車産業はつぶれてしまえ」と言っているのは、実は本当に心底からそう思っているのですが、私なりの考察によるものなんです。
トヨタのお膝元に暮らしていたときも、仕事でトヨタと関係があったときも、その考えは変わりませんでした。
ひろこちゃんは以前車でひっくり返って?から家族に運転を止められてしまいました、今はスクーターが足になっています。
店に向かう道すがら「あそこにぶつかってしまったんだよ~」
びくともしそうにないコンクリート壁を指差してひろこちゃんはそう言いました。
自身のことではありませんでした、息子さんのことです。
成人前の息子さんを亡くしたと聞いていましたが、交通事故死だったのです。
ひろこちゃんの歳から推定すると私より少し若い息子さんだったでしょう。
その頃の異常な交通事故の増加ぶりを私は良く知っています。
昨日まで一緒に遊んでいた友を彼自身で起こした事故で失いました。
親に買ってもらった"ナナハン"で一発目のカーブで死んでいきました。
あまりにも日常に交通事故が多くて不感になっていた時代でした。
幾人もの知り合いがこの国道42号(死に号線)で亡くなっていったのです。
全国的な事故統計でこの地域は何度もチャンピオンになっていました。
私が中坊の頃に始まった自動車社会は年間一万人以上の交通事故死をカウントし続けていき、ひろこちゃんの息子さんが亡くなった時もその異常な時代の渦中にあったと思われます。
事故を目撃するとよく分かります、あんなペラペラなブリキ細工の箱が人を乗せて猛スピードで走れてしまう危険性が。
そんな学習を重ねていながらこの田舎(に限らず世の中一般)では車を手放せない生活が今も続いています。
いや、手放そうと思えば手放せるのにそうしない人達が主流となっています。
私の集落の人はたった50mしか離れていないゴミステーションまで車で運びます。
皆健康に気を使っている人達なのに、生活習慣によって歩かずに車に頼っています。
田舎では一家に2、3台の車があるのが当たり前で、中には一人暮らしなのに複数台車が駐めてある家も見かけます。
軽トラの必要性は理解しますが、クラウンや高級ワゴン車が何故必要なの?と思ってしまうんです。
購入費や維持費は忘れていられる額では無いでしょう。
これはどうも自動車の業界に踊らされてしまっていると思うんですよ。
私も今までに教育産業と介護産業に踊らされ貢いできましたが同様の社会構造なんでしょうね。
私が始めて買った中古のサニーは14万円だったのを今でも覚えています。
今の新車価格でそのサニーは数十台買えるでしょう。
余りにも違いすぎないか?車の価値にそれほど違いが有ると思えないのですが。
知り合いのセールスマンが言ってました、「車は売値の半額くらいで作れるんですよ」って。
そんなもんでしょう。
ブリキ細工のおもちゃが何百万円もするのですから不思議に思わないのは変ですよ。
私が生業にしていたエレベーターは車と同じくらいの値段で売られてましたが、製造原価は業界事情で売値の倍はかかっているのです、原価の半分でしか売れないエレベーターと原価の倍でも売れてしまう車です、利益率は大違いで台数は桁違いの更に桁違いですよ。
エレベーターは無いと社会はそれなりに困る物でしたが車はどうでしょうか。
なんか、社会的に有益且つまともな商売ではないように思いますよ、でも売れるんですねえ。
そんな美味しい業界に僕も居たかったな、違うか。
この田舎の人に限らず庶民の可処分所得に占める車にかかるお金は笑えるほど高いと思いますよ。
車を交通インフラだとするとあり得ないほどの高額交通手段になります。
何故みんな気が付かないのでしょう?アホらしいと。
父のけんちゃんはこの村で個人として車を持った最初の人だったと思います。
車なんてまったく走って無かったですからね必要がなかったから。
けんちゃんには車は必要でした、山奥の山林事務所まで毎日通わなければならなかったからです、車の無かったときは泊まり込んでいたのですから。
その当時はほとんどの人は歩いたり自転車でさほど不自由なく生活していたんです。
けんちゃんは歩いている人を見かけると声を掛けてよく一緒に乗せていましたよ。
蛇足ですが私の祖父は駅で駅員さんから「今出てしまいましたよ」と言われて、「いいんです次の列車に乗るつもりで来たのですから」と、1時間も次の列車を待っていたそうです。
のどかというか、それが当たり前で急ぐ必要など無かったんですよ。
今は窓を閉め切った冷たそうな車が忙し?そうに走り回っている風景に変わりました(私は事情があって窓開けてますけど)。
歩いている人も居ませんが、もし居たとして声を掛けて乗せてあげようとしたら犯罪者扱いされてしまうような世の中です。
何か私にはそれが不自然に思えてしようがないのですよ。
そんなに急ぐ必要が本当に有るのか?人が移動するだけのことにしては車は大層過ぎないか?
車が本来の移動の道具から他のものに変質してしまっている動く個室の如くに。
誰かにそそのかされ、車を買うように仕向けられているようにしか思えないのです。
自動車販売店に行ってみなさいよ、綺麗どころが2・3人ワラワラと寄ってくるでしょう。
普通綺麗な女性は向こうから寄ってこないですよ、長靴履いて爪に土が一杯詰まってるような男には。
私の会社は綺麗どころなんていませんでしたよ、入り口に近い私が受付嬢?も兼務してましたよ。
それが車を売る場では、にじり寄ってきて耳に息を吹きかけ体を触ってくる・・・それはないやろ。
何故か?本来の移動手段から乖離してしまった詐欺的高額商品をさも必要且つ適価なんだと錯覚させぼったくる為です。
自分たちの生息している業界の温存のために消費者に無用の出費を押し付けている。
自動車産業というのは製造段階で膨大なエネルギーを消費し、作った製品がまた膨大なエネルギーを消費することになるという、存在を正当化できない背徳の産業なのです。
最も地球に優しくない産業だと思うんです。
自動車産業が無ければ原発なんて作ろうとしませんよ。
少々の便利さと作られた偽の価値によるそんなものが世に有るのはおかしいでしょう。
いくら日本経済を支えている得意分野の産業だとしても。
それが業界の多くの人々の生活を支えているとしても。
現在自動車産業にいる優秀な人材は他の分野に導いていくべきですよ。
もっと良い世界が作れますよ。
トランプさんや赤澤さんも、そんなこと百も承知でしょう。
それならそのように国民を誘導していってほしいと思うんですよ。
農家もこれ以上貿易で犠牲者なるのは懲り懲りだし、クラウン買ったのも気の迷いだったと気づいたんですから。
とりあえず、自動車ディーラーの綺麗どころの配置には規制をかけてもらおうかな。
終盤有鉛ビールが効きすぎてきたみたいだな。ハハハ
おいおい、真っ昼間からかい。


