妻が妻自身による計画で自分の介護を始めてからしばらくの間、私は妻の介護は楽しいなと感じていたのも事実なんです。

何しろ私は妻の指示通りに動き回っていれば良かったのです。

新入社員みたいなもので、右も左も分からないまま、与えられた仕事?をやっていれば良かったのですから。

妻もまだ車椅子で自由?に動けていましたから、車椅子を押してお供をしながら私が今まで知らなかった妻の世界を知ることになりました。

私達が住んでいたのは地方都市でしたが割と便利なところに位置するマンションで、頻繁にリハビリに行く病院が徒歩(車椅子)5分、美容室が徒歩1分、エステが徒歩3分、ネイルサロンが徒歩10分、気休め?で行く神経内科クリニックが徒歩15分、後に利用したショートステイ施設も徒歩5分、百貨店や商店街もごく近くといったところです。雨の日以外タクシーを要するようなことはありませんでした。

自家用車は持っていましたが乗ることはありませんから息子のデートカーになっていました。

リハビリ病院とクリニック以外は私が始めて知る妻の世界でした。

そのどれもが妻に非常に友好的であることを知るのですが、それは妻の病気が作用したものでは無いことは明らかでした。

妻はそのような訪問先にポストカードや絵本をプレゼントする為、私を買い出しに走らせることがありました。その絵本やポストカードは妻の好みの物が指定されていて入手には苦労したのですが、そんなメルヘン世界も知ることになりました。

やがて妻は私に押される車椅子より自分一人で自由に動ける電動車椅子を望み使うようになりましたが、私はこの街がそれほど車椅子に優しい街だとは思っていませんでしたから、妻は失望してしまうのではないかと心配しながら後をついていきました。

私の心配はやはりその通りで、妻はいくつも障壁に阻まれ失望するのですが、それを容認出来ない妻は市に要望を上げました、もちろん即刻の解決には至りませんでしたが市の対応は大変親切でした。それで妻は満足したようで、又私が押す車椅子に戻ってきたのです。