やがて妻は自分がパーキンソン病では無いと感じ始める。

何故なら薬が効かなかったからだ。

パーキンソン病は比較的良く薬の効果が実感できると言われている。

脳や神経に作用する薬ドパミンの効果で動きづらかったところが動いたりするらしい。

N市の大病院にかかっていた妻はパーキンソンだと言い切っていたその病院を見限って家の近くの小さな神経内科クリニックに通うようになった。

そしてある日私に、

「私は線条体黒質変性症だよ」と、そう言った。

「線状ではなく線条と書くから調べてね」。

それは本当なのか、たぶん本当なんだろう。

そのとき妻はもう死の覚悟はできており、私は家庭を襲った悲劇にどう対処していったら良いのか途方に暮れた。

とりあえずこれ以上のアクシデントがあってはならないと考え息子達に伝えた。

息子達はすでに社会人になっており、その点では幸いだったと思うとともに、将来に暗雲がかかったのではないかと気がかったが、仕方の無いことであった。

妻はそのとき既に自分の行く末についての正確な青写真ができていたようだ。

社会福祉士の妻は自分がどんなサポートを受けられるのか知っていた。

「あんた会社やめなくても良いよ」

その言葉を私はなんて妻は楽天家なんだろうと思い聞いていたが、やがて私の方が何も良く理解出来ていない悲観家だったのかと思うようになる。

いずれにしろ真実と運命ははっきりとした。

妻の病気の特定ができなかった大病院を責めることも出来ないし、責めたところでどうなったものでもない。

でも私は、妻がパーキンソン病だと言っておいた勤め先への報告を修正することは無かった。

いずれも難病指定されている疾病なので、さほど影響は無いだろう。

妻が言ったように会社をやめるつもりが無かったということは無く想定もしていた。

そして自分自身の心が折れてしまう確率も五分五分だろうと予想した。