パーキンソン専門プログラムが有る病院が福岡にあると妻は言った。
その瞬間妻はそこへリハビリを受けに行く決心なんだなと思ったが、その通りであった。
妻はいつでも私に事後報告でした、私の意見は妻にとっては食後のスイーツの皿に残った食べ屑程度のものであり、刺身のつまくらいにならないものかなと思っていた私は、ついになれなかったのです。
私は忙しくて妻の様子をうかがいに行くこともならず、メールでふざけ合っていただけでしたが、妻は真面目にリハビリを受けていたようでした。
パーキンソンに特化した病院は少ないそうですね。
その福岡の病院はフ○ニシカイという医療法人だったと思います。
そこの医療スタッフにはユニークな方がいたようで妻は大変楽しそうにメールを打ってきたものです。
個人が特定されると申し訳ないですが、ある方は元電機大手で研究職にいたそうで、人との接点を求めて病院に転職してきたそうです。
妻が何を聞いても妻が予測する返答範囲を超えた、新たで新鮮な回答が得られると喜んでいました。
あるとき(その季節だったのかは失念しました)二月はどうして28日までしか無いのでしょうか?すると即座に「シーザーの影響によるところが大きいですね」。
そのような調子で妻を退屈させることは無かったようです。
休日?には妻は博多市街に繰り出していき、得意の嗅覚を使って楽しんでいたようです。
その病院のリハビリ仲間に妻のことを気遣ってくれる年配の女性がいて、妻が退院後何回も手紙をくれていたのです。
少し宗教的な内容の手紙でしたが今も残っているはずです。
まさか・・・そんなはずはないですよね、一時だけの接点でしたから。