前に触れた父の紙切れ依存症や紙切れ収集癖の分析。
父は民有林の管理を任されていたサラリーマンだった。
父が長年仕えてきたのは地方財閥一族で、昔は三重県内の土地所有面積が1、2番を争った(農地改革前のこと)豪閥だ。
農地や山林がどのようにして個人の所有になるものか私は知らないが、とにかく広大な土地を持っていたらしい。
当然のことながら手広く事業も行われていて、その財閥の歴史は県も無視できないものだと考えていた(県自身ではなく、父のけんちゃんは)
父が関係していた事業所の一つにその財閥の資料が倉庫に大量に保管されていた。
事業に関するものも個人に関するものも、膨大な紙切れがダンボール箱200個に入っていた。
昔のものだから和紙に墨書きされた、表具屋が襖の下張りに欲しがるような紙切れだったと想像される。
小作人との争議裁判記録など多少歴史的意味を持つものから、個人の手紙類や冠婚葬祭など、どうでも良い個人情報のゴミ屑まで何から何まで残されていた。
そのダンボール箱200個に及ぶ膨大なゴミを県に寄付したいと申し出て、父は体良く廃棄費用を要さずに処分したのだ。
県は有り難くゴミ屑を頂戴すると言ってトラックで引き取りに来て県庁地下書庫に保管した。
県はその紙切れを1枚1枚確認しては整理し記録させる職員を文化研究員として公金で働かせた。
気の遠くなる何年にも渡る作業の結果、県の文化関係部署が紙切れ1枚も漏らさず分析、系統立てて纏め上げ資料とした。
その資料本を私は家の紙切れが入ったダンボール箱の中から見つけて読んでいる。
分厚い本に虫眼鏡を使わなければ見えないような活字がびっしりと印刷されている。
3冊見つけたが読んでも面白くなかったので1冊はすでにドラム缶で燃やした。
そうか分かったぞ。
父は無用の紙切れに価値を創生することを覚えたんだな。
同じことを私にもやらせている訳か。
やれやれ、紙切れは増やさずに捨ててくれよな!
しかし私はふっと思った。
この紙切れは他の記録媒体より物理的に長く残せるものかも知れないと。
CDやDVDなどの樹脂円盤はボロボロになって消えていったではないか。
磁気テープもやがて同じことになるだろう。
半導体媒体もいったい誰が寿命を保障してくれるというのだ。
その点紙切れは耐久性が歴史上証明されている。
いや待てよ、紙も何万年も経てば朽ち果てるだろう。
すると石やな。
結局最後まで残るのは石や。
石板に描かれた絵が地球最後の時まで残るんとちゃうか。
HALはそう言っていたよな。
父が石板依存症でなくてほんと良かったよ。
私の腰は逝ってしまっていたであろうから。