なんだと思いますかこの大きな建築物は?
2009年に廃業したまま放置されているホテルの残骸です。
私の家から車で40分の所に有ります。
多くのインフルエンサー達が紹介している日本で最大級の建築物廃墟です。
その人達の切り口は皆同みたいです。
バブル遺産だと。
私は少々異なる切り方をします。
この建築物が完成したのは1985年でバブル経済の始まる前です。
用途は何だったか?
驚くでしょうが有料老人ホームだったのです。
直ぐに破綻してホテルに衣替えしたのですが。
258室、一部ホテルで24室、定員は413名という規模です。
診療所、リハビリセンター、トレーニングセンター、薬草温泉、天然温泉、滝風呂、サウナ等を備えた大浴場があり、さらに文化教養娯楽施設として映画、カラオケ、民謡、講演等ができる大ホール、家庭菜園、茶室、囲碁将棋ができる娯楽室、ラウンジ、屋内ゲートボール場、陶芸窯等を備えていました。
医療・介護サービスは当然のこと、娯楽施設も充実、隣のゴルフ場の利用も想定されていたようです。
40年前ですから入居想定年齢を60歳以上とすると現在生存していたら100歳以上の人達になります。
すると戦前戦中世代か、この世代の人達にこのような、老人ホームというよりは老後をアクティブに生きる場所の需要があったとは思えないのですがね。
開業して直ぐに運営は破綻して入居者との裁判沙汰の末に精算されました。
介護保険制度が生まれる15年前です。
今の高齢化社会と比較するとその当時の高齢者の数は3分の1です。
高齢化社会に向かう兆しが見え始めたころです。
この片田舎の地にこんな巨大な老人ホームを作って、運営者はどこを見ていたのでしょう。
どこも見ていなかったように思います。
現地を見てきてなんとなく謎は解けました。
違うのかも知れませんから断言はしません。
ゼネコンにやられたな。
ゼネコンと書くのはデベロッパーと言うには当たらない逃げ切り可能な存在だからです。
建設完了で一件落着、あとは野になれ山になれ、が、野にも山にもならず廃墟は今も残っている。
運営者は資金は持っていたのでしょう。
ただ、有効な使い方は知らなかった。
そこをゼネコンにつけ込まれ資金は巻き上げられ逃げられた。
この大きな掘立て小屋を見ているとそうとしか思えない。
有名インフルエンサー達は32億もの高額な建設費のことを強調しています。
それは温泉施設やゲートボール場、文化教養娯楽施設などの山盛りの付帯設備だから。
高齢者の静かな終の住処にしては余りにも相応しくない。
収容人員を増やし規模を大きく膨らませたのはその建設費の増加つまりゼネコンの利益増加に説得性を持たせるためです。
入居者に介護サービスを提供出来るような本来の目的には全く添いません。
開業して1年で運営者は60億の負債を抱えたといいます。
何も知らずに入居したのはたった17室23名だけ。
家も売り払って入居してみたらとても住み心地が悪かったのではないでしょうか。
裁判で払い戻された金ではバブルで高騰してしまった家はもう買い戻せなかったでしょう。
さて、これが介護保険制度が有る現在の出来事だったとしたらどうなるか?
出来事は成立出来ません。
図面審査ではねられて終わり。それだけ。
中で働く職員はオリンピックを目指すアスリートではない。
老人施設には適切な大きさというのがあるのです。
出勤してきて30分で倒れてしまうような施設では話にならない。
そんな老人ホームの体をなしていない老人ホームは存在できません。
介護保険制度はそのような役割としては生まれて良かったのかも知れません。
せっかく見てきたので絵を貼っておきます。
エントランスより1階ホールを見る。
鉄骨構造にALC外壁は居住施設としてあり得ないのでは?。
柱も壁も石膏ボードで覆われた張りぼての内装。
設計者に親はいなかったのか。
事務所だったのだろうか。
乱雑さより造りのチープさが目に付く。
会議室か職員食堂か。
元は居室だったと思われる8畳の小さな部屋。
流水プールやゴーカート場はホテルへ改修時の増設だろう。
隣地に出来た小さな老人介護施設。
地元に役立ってくれることを願う。









