私の辞書に「介護」というものは無かった。

50の中頃までは。

親に要介護のときが訪れるのは分かっていたが父母はずっと元気だった。

私の身近なところに「介護」は見当たらなかった。

私は仕事に囚われてしまい憂さ晴らしにバイクで飛ばすことがあった。

そのときに田園風景の農道でフッと父母の姿が浮かんできた。

何故か必ずその場所を通ると父母の姿が浮かぶ様になってきた。

やがて私は無意識にその道を避けるようになった。

介護は思いもしなかった形で出現する。

元気いっぱいだった妻が死を待つだけの病身になってしまった。

私は突然幕が開けた悲劇を悲観し恐れ精神を病んだ。

気丈な妻は病床からそんな私をサポートしてくれた。

その妻が亡くなって6年経つ。

妻は生涯を社会福祉の世界で生きてきた。

だが自身その恩恵を受けたのは晩年の一時期だけである。

生涯のほとんどを社会で生きにくい弱者の立場に身を置いた。

それは職業として生活の糧としての生業でもあったが、

彼女の理想する社会実現の為であったとも思われる。

 

国の皆保険制度として介護保険制度が出来て25年が経つ。

歴史の長い医療保険制度に比べるとまだ試行中とも言える。

介護関連施設やそこに働く人は急速に増えている。

産業の乏しい私の生活圏にも介護関連の従事者は沢山いる。

ここで一つの捉え方を提案したい。

医療については非営利な世界だと捉える人は少なくなったが医療の理念として公益に資する世界であるとは捉えられていると思う。

医療の進歩・拡充によって国民の寿命は飛躍的に延びている。

介護についてはどう思われているか、私の意見だがドップリ営利の沼に漬かってしまったのではないか?その沼に皆保険制度として国民は引きずり込まれている。

これは私の経験が言わせているので違う意見も多いと思うが私の認識はそうである。

介護に携わる人の身分について賃金や労働環境のことは良く取りざたされるが、そもそもの役割について議論されることが少なく思うのは歴史の浅さによるものなのか。

資本主義社会の中で生業として業を行なっているのであればもっと研鑽や切磋琢磨があって正しいと思うが。

私は教育産業にも辛酸をなめさせられた。

誰しも親なら自分の子供に教養を持たせたいと思うのは当然のこと。

但しその教養に行き着く道にたくさんの銭箱が置かれているのがこの国だ。

息子二人を大学に通わせていたとき資金が枯渇して天を仰いだことが数回あった。

この国には弱みを見せるととことんむしり取られる営利業界の罠が張り巡らされている。

どのような社会が正しく生きやすいのか、社会の弱者である大多数の国民はもっと真剣に考えてもよい。

妻が思い描いていた理想の社会実現に向かって。