晴れているが湿度は高い。

お隣に滞在している孫さん達がイソヒヨドリの巣を見に来た。

高所で危ないのでタブレットで撮影して見せてあげたら喜んでいた。

無邪気に喜ぶ子供達を見ていると、いったい人は何処でひねくれてしまうのだろうかと思う。

赤ん坊が泣くのは俗な舞台に引きずり出されてしまったことを悲観してのことだという。

侵入者の接近に大きく育った雛たちは鳴き声を潜めた。

 生ゴミを捨てようと畑の中のコンポストに向かって歩いていると足下の草が気になって抜きだす。

次から次へと草を抜いているとやがて何をしようとしていたのか忘れてしまう。

目的を忘れて横道に夢中になってしまう。

母がそうだった。

母の血は私にとても強く流れている。

仕事もそうだった。

優先順位の高い仕事を放っておいて別の仕事にのめり込んでしまう。

常に頭の中で本当にやらなければならないことを気にしながら別のことをやっている。

そんな生き方が身に付いてしまった。

その方が上手くいくことが多かった、ひねくれた性格なのだろう。

 

花子、「刺身は真っ先に食べるわね」

 

 陶芸には無知だが、少し半泥子に関わった事がある。

半泥子の蔵がT市の屋敷跡に今も残っており、それが国の登録有形文化財に指定されてしまった

文化財への指定によって蔵(千歳文庫)を後世まで残す必要が発生し、その為には建物の耐震工事が必要になった。

スーパーゼネコンのSがその工事を請け負い、耐震設計を進めていくと内部のエレベーターが邪魔になることが判明した。

ところがエレベーター自体も歴史的に貴重であるため、どこかに保存出来ないかという話になって受け入れ先を探していた。

国立科学博物館研究員M氏の口利きで私が所属した会社で保存することが決定し、私が撤去工事を担当することになった。

当然のことながら工事期間中に半泥子のことを知ることになり子に興味を持った。

「半泥子」の号の意味は「半(なか)ば泥(なず)みて半ば泥まず」(何にでも没頭し泥んこになりながら、それでも冷静に己を見つめることができなければならない)であると知り、その人物像が透けて見えた。

茶碗が多かった作品の中にあってこの水指「慾袋」は半泥子を代表する作品だろう。

 

伊賀水指       銘:慾袋

sekisui museum

 

明らかに伊賀水指 「破袋」 を模した作品である。

割れた水指を捨てずに修復して俗っぽい銘を付けて作品にしてしまった。

陶芸には素人を通した半泥子の遊び心なのだろう。

実物は予想するよりも大きい。

 

 

古伊賀水指    銘:破袋

重要文化財