樒(シキミ)山の整備(伐採・枝打ち)が終わってしまったので、私の憂さを晴らすフィールドが無くなってしまった。
今、別の憂さ晴らしのことを計画している。
この地域の農家が田んぼを持て余していることはもう何回も書いた。
しかし、
もっと持て余していて口に出したくない、思い出したくもないということがある。
山林である。
どこの農家もわずかに山林を所有している。
その山林の整備は遙か昔に止まってしまっている。
今の当主の先代時代に山林は整備されなくなり放置されてジャングルとなっていった。
私の田舎の家もほんの少し山林が有り、固定資産税を納めているから今もそのまま有るのだろう。
しかしその山が何処に有るのか私には分からないし近所の人に聞いても知る人はもう居ない。
私が小学生の頃大雪で倒れた木を父母と一緒にロープで引っ張り起こしに行った覚えがある。
50年以上前のことである。
弁当を持って父母と通った山仕事は楽しい思い出であるが、それを最期に山は放置されジャングル化が始まった。
当時樹齢が20年程度だったと思うので、今では樹齢70年以上の大木になっているはずだが、整備されていないからどのような様相になっているのか分からない。
私はその山を探して整備を始めてみようと思っている。
皆は「無駄な苦労だヨ」、と言うだろうけれど、私は自分の気分を安定させる為には何か仕事が必要なことを知っている。
私は妻の介護、両親の介護と、やむを得なかったとはいえ、早い退職で充実出来る仕事を無くしてしまった。
・世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
・世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
福沢諭吉の教訓にもそうある。
なんとか余生を軌道に乗せたいと思っているのだが・・・
父は山林監理の仕事についていたがそれはサラリーマンとしてで、自分の山は放ったらかしであった。
ご近所の人も皆サラリーマンをやっていて山は放置してきた。
この地域では山はもう誰も見向きもしないお荷物になってしまった。
父母の施設の介護師のNさんは大阪近郊でこの地域とよく似た疲弊した里山を復興しようと、
NPO法人「里山倶楽部」を立ち上げ主催した人物である。
今も理事として関わっているようである。
Nさんは里山維持に必要な労働力を大企業から調達する(体験料を徴収して)というウルトラCをやってのけている。
大都市から近いという地の利と自治体のバックアップ制度や地元協力者の存在が有ったそうだが、過疎の村に住む人だけが見向きせぬだけで、実は企業や都会に住む人にとっては里山維持は大きな関心事になりつつあるようだ。
私も現役のころ、公共工事の計画書には自社の環境保護活動や社会貢献活動について謳うのが常識となっていた。
この地域ではトヨタが山林王から広大(1650ha)な山林を買い占めて企業の立ち位置をアピールしている。
大都市から遠く離れ疲弊の度合いも違うこの地で里山維持への自主ベクトルが生まれるかどうかは予測できないが、
「○○君この頃良く山に入るね~、綺麗どころでも居るのかい?」
と、冷やかされる日も近いのだ。
思いっきり鉈を振り回してやるぞ~。