次に僕が障害者になった事故当時から

入院生活のことを書きます。

 

【事故当日】

当時、平成16年9月5日

もう18年くらい前になりますが

高2の時、陸上競技の大会中に

棒高跳びという種目で

空中でバランスを崩し

落下した衝撃で頸髄を損傷しました。

 

実はこの大会の前に

左足の靭帯を怪我していて

完治しないまま大会に出たんです。

 

今思えば大会に出なければ

こんなことにならなかったと思うんですけど

当時、この大会が僕にとって最後の新人戦で

大会新記録を狙える実力もあり

顧問の先生からもプレッシャーもあったので

ベストコンディションではなかったんですが

予選を突破して次の大会に

繋げたいという想いもあり

まずは確実に記録を残せる低い高さから

跳びたいと先生に言いましたが

先生は聞き入れてもらえず

高い高さから始めろと言われ逆らえずに

高い高さに合わせた1本目の跳躍で

失敗してこうなってしまいました。

 

落下した衝撃で、その時の

記憶がないんですが

他の部員がビデオ撮影していたので

当時の映像を見せてもらいました。

競技場内は応援から悲鳴に変わり

ピクリとも動かない僕の体を見て

救急車を呼んでいました。

 

救急車で搬送されているときに

一度意識が戻りましたが

戻ったと言っても意識朦朧としていましたが

すぐにまた意識を失いました。

 

最初に地元の久留米医大に

搬送されたんですが

医大では処置ができず

命を落とす危険性があったらしいので

県内の飯塚市にある

脊髄損傷専門の病院に

ドクターヘリで搬送されて

すぐ手術をしなければならない

状況だったらしいです。

6時間の手術をしました。

 

今でも傷跡が残っているんですが

骨盤の骨を削り取って首に移植して

ボルトで固定されています。

 

手術が無事に終わって目を覚ますと

知らない天井があり

心配して駆け付けてくれた家族が居て

「あぁ、とりあえず生きてたな、

九死に一生とはこのことだな」

って思いました。

 

しかし、手術は成功したものの

この時すでに僕の身体は麻痺して

動きませんでした。

 

当時はそんな重大なことになっているとは

思っていなくて、今動かないのも

手術して間もないからだと思っていましたし

リハビリすれば怪我する前の状態に戻れると

楽観的に思っていました。

 

 

次回は入院中のことを

書いていきます。