ちまたでよく耳にした、言葉。
「自分が変われば、相手も変わる」。


私はこの言葉を鵜呑みにして、長いこと頑張ってた。
全てにおいて、この言葉が通用するとは思ってはいないけど、すべてが間違いでも無いと思ってる。

間違えたは、私の理解、捉え方。。。

私は、
「私が相手に暖かく❓ 心からの思いやりを持てば、相手はいつかは変わる」
と、解釈した。

結果、私は、舐められた www 
どうして❓ えーん
と、何年も悩んだ  


近年、私が変わるべきと反省していた「心根」と「言動」の中身の誤りに気がついた。

私が成りたいわたし。
「1番は私を守るを意識すること」
「私が不快を感じる行動、不条理を相手がしたのなら、“止めて” と言うこと。」
「相手が私に不義理をしたのなら、不義理に思ってる旨を伝える、正式に抗議すること。」

曇り


私が相手に苦言を伝えたところで、相手は変わらない可能性の方が高い。

でも、世の中の何割かは「教育❓ が、行き届いてないから知らない」という人もいた。
「知らない」ことは、出来ないよね❓
子供と違って大人相手に「教育的指導」を言う人なんか、まずいない。
不満を抱える前に、1度ぐらいは教育の意味を込めて苦言をいってもいいんじゃないか? と、数年前から思ってる。

思ってるだけで、実行するのは大変な勇気がいる。
これを、思うようになって、そろそろ5年目を迎えるところなのに、今だ困難を抱えている。


曇り


過去に、私が苦言を我慢し続けた結果。
私が抱えきれなくなって、友人を捨てたことがある。

私にとっての友人は、非常識、破天荒、、、
そこが魅力でもあり、問題でもあった。
惚れっぽい子で、本人は認めていないけど、アル中だった。

時折、彼女の非常識には、魅力を超えて「問題」を意識したこともあった。
でも、それを指摘したら反発されるのは目に見えていたし「いい大人」に「お小言」を言えるほど私は偉く無い。
友人には「お小言」を言ってはいけない、友人だからこそ、暖かく受け入れるべきだと思った。
酒の心配以外は、反発されるよりも、その場の楽しさを選んだ。
相手にとって心地よい言葉を優先した。

そんな関係を数年続けた頃、彼女が私にやっかみの言葉を吐くようになった。
すっかり、私に甘え切ってしまったのだろうな。。。

私はそれに耐えられなくなって、彼女との関係を切ったんだ。
泣かれたけど、揺るがなかった。
一時の情で、ヨリを戻しても同じことを繰り返して、より深く彼女を傷つける未来が簡単に予想がついたから。。。
ちょうど、彼女に彼氏ができた頃で、縁を切るなら今しかチャンスが無いとも思った。

会った事も無い彼女の彼氏に申し訳ないとは思ったが、私は彼氏に彼女を押しつけたんだ。
彼女とつきあってるのは、彼氏の問題であって、私とは関係ない。
万が一、その後、彼氏とも別れたとしても、彼女は次の “よりどころ” を見つけられる。
と、自分に言い聞かせた。

私は、相手にとって強烈に手痛いことをしたが、何年も思いは残った。
ただし、気には留めても「絶対に連絡はとらない」と自分に誓った。
切った側の気分次第で、連絡をとってはいけない。それが相手に対する思いやりだと思ってる。


私が苦言を言おうが言わまいが、どうせ切れてしまう関係だったのなら、相手に私の気持ちが伝わらないとしても「教育的苦言」を伝えた方が、私が思い残すことが無かった。
言うべきことを言った方が「最善を尽くした」と、思えただろうと後悔した。


これは、私の想像なんだけど、

私が言っても、言わなくても、、、
そして私が縁を切った後も、彼女は変わらないままだろうなと思ってる。
彼女を変えるのは、私の役目では無かったんだろうなと、私自身への慰めに過ぎないけど、そう思ってる。

人は、その人の時期が来ないと変わらない。
でも、誰も彼女に何も言わなければ、その時がいつかくるのかも分からん💦
全くの他人なら放置一択だけど、少なくとも「友達」だったら言ってもいいんじゃないかな❓ と、思う。
言わない選択をしたってことは、私は彼女を大事にしてなかった証拠だとも思ってた。

今日、私の悩みなど全く知らない人から、関係無い話題で「教えないのも教育」という言葉をもらった。
「教えるのも教育」、「教えないのも教育」。
だったら、自分はどっちを選びたいかで決めていいんじゃないかな❓  と、思った。
自分が覚悟を持って選択することが重要なのかもね。結局、答えなんて無いんだ。


曇り


私にとって「自分が変われば、相手も変わる」は、「私が変われば、私が学ぶ」という結果を得た。
何をどう頑張っても「自分の為」にしか、ならなかった。

相手が変わるかどうかは、相手が決めること。
相手に頼んでもいないのに、「自分が頑張ることで相手が変わる」と期待をするのは、普通に理屈として変だと思った。

自分の成長を目指すための戒めとして、「自分が変われば、相手も変わる」は成立するのだなと思った。
私は、言葉の本質を長いこと間違えてた。
今現在での私の結論です。まだ、私の中に思考の先がありそう。。。 将来、この結論に変化が出そうなので「仮の結論」です。


相手を変える可能性があるとするのなら、「私が嫌だから、止めて欲しい」と
そのまんま言った方が可能性が高い。
相手に言って駄目だったら、その人との関係を諦めるしか無いんだから。

(。⊿°」∠)モッモッ
どうして、こんな、当たり前の理屈に気づくまで、この年齢まで来てしまったのだろう❓ 


「気づき」という壁は超えたが、次は、「実行」という壁が待っている。
ってか、今日、その「実行の壁」で行き詰まったんだ。

しばらく、本気で 悩みモード に入ると思う。

自ら望んで「悩む」と言うと、私の周囲は大概、私をネガティブ思考に捉えるけど、私にとってのコレは「前進する為の負❓」「ポジティブ シンキングタイム」なんだよね。

どうして、みんな「わざわざ苦しむな」と言うのか、私にはわからない。
本気で悩み続けないと、私にコレを越えることはできないのに。。。

今まで私の取り組み方に賛成した人は皆無なので、「わざわざ、自ら苦しい道を選ぶ」ことは、「やってはいけない思考回路」なのかも知れない。

くれぐれも、私の思考回路には賛同しないでください  m(_ _)m
真似しようと思ったら、精神を病みかねませんよ。

修行僧じゃないんだから、平穏に、そこそこ自分の心に波風立てずに生きられるのであれば、それが1番幸せです。


おわり