気づいてしまった。

私が見ている、うちの就労移行の世界の話。



サビ管が、講義の合間に感想のシェアを求める。

自由な感想を求められていると思ってたけど違った。


利用者が「うまく言えないけれど…」と伝えた言葉は、サビ管の講義目的に合わせた言葉に変換去れた。

その利用者が伝えたかったモノは「まだ名前のない感情、形になっていない気持ち」だ。

伝えてもいない事をサビ管に断定されても、本人すらまだ分かってない感情だ。

「違う」とも言えないから、「はぁ、そうですね」としか言えない。


言葉になっていないけど、生まれかかったデリケートな感情は、その人の心の奥にそっとしまわれる。

せっかく、勇気をだして、芽生えた気持ちを出そうとしたのに、、、


その感情が再び光を見るのはいつだろうはてなマーク

少なくとも、サビ管の前には現れないだろうな。。。

それだけなら、いいんだけれど、自分の感情は、サビ管が断定したソレだと思ってたしまったら、、、その人は苦しむだろうな。

だって自分の本当の感情の名前はソレじゃないもの。



かなしいなぁ

とても、かなしい。



それぞれ目指すものがあって、コミュニケーショントレーニングを開催したり、受講してるのに、、、

その世界では、気持ちを受け入れないし、受け取ってもらえない。

当人達は気づいてない。


当事者だからこそ気づけないんだよ。

気づけるのは、第三者だからさ。

そして、それに気づいても、誰も何も言えないんだよ。

デリケートな心の世界、言葉にする方も大変なんだ。

伝わらないし、伝えきれないのなら、黙るしかない。



もう、誰が悪いとかじゃなくて、、、

どうしようもない世界を痛感した。



共感力が苦手だからこそなのか?

コミュニケーショントレーニングにこだわるサビ管。

自分を伝える事が苦手だからこそ、来ている利用者。。。


理想は分かる。憧れも分かる。

分かるけど、共感力がネックな、コミュニケーションに問題がある当人が指導者になったら、みんなが不幸になるんだよ。


サビ管のバイタリティや行動力は、別の分野では、優れた資質だと思う。

資質と選んだ場所の不一致が、、、。



散々、腹も立てたし、

事実を並べて有無を言わせない苦情を述べた私が言う立場ではないけれど。。。



人様の資質と選んだ場所の不一致は、責めることはできない。

結果として、誰も幸せではないけれど、、、

ソコを選んだ責任は、全員にあった。



さっきまで、サビ管が悪いと思ってた。

そんなサビ管の元にいる事を選んでる時点で、私たちはおなじ舞台に立つ共犯者なんだ。


どうしようもない世界に、

幸、不幸。

好き、嫌いは、あるけれど、、、


かなしいだけで、

何が悪いとは、とても思えなくなった。



つづく