母は本当の意味で人を好きになったことがないと思う。
娘の私のことも。


なぜなら、
・今でも言葉の暴力をするから(昔より巧妙になった)。
・私が自分の思い通りにならないと、知人や身内に悪評を巻いて仕返しをするから(昔は怒鳴ったり、逆に私を完全に無視した)。
・そして何かの拍子に母に触れそうになると嫌悪感のようなものを感じるから。


以前母と共に満員電車に乗っていた時のこと、二人とも席が取れず掴まるところもなかった。
そのとき線路の切り替えにより電車は大きく揺れ、母が仰向けによろけた。
とっさに私は母の腕を掴んで支えたので母は転倒を免れた。


こんなとき普通の母娘であれば「危なかったね。」「良かったね。」といった言葉が出ても良いではないか。


しかし母はすぐに手を引っ込めた。
母の顔には嫌悪感が表れていた。

いつもなら人助けをした後によくある温かな気持ちが感じられなかったのは、そのためだろう。


人を愛すること、好きになることを知らずに一生を終える人は本当に気の毒だと思う。
そう考えればいつか母を赦せるようになるかもしれない。

母の存在を探していたのと同じく父を求めていた。


もちろん実父実母は今でも共に健在だ。
家に居るときは畳に寝転がって白痴のようにテレビばかり観て子供達に一切かまわず、機嫌が悪いと母や子どもたちに辛く当たる人間がどうして父親になれるものか。
私にはそんな父は赤の他人と変わりない。


生活に不便したり辛い思いを家族に強いる父は、節約家というよりケチである。
たとえば食事について。
父は週に三度晩酌をするので酒の肴が付いたが、一方家族の食事は貧しいものだった。
たまに私たちの分まで品数が多い日などは私が食卓に着くと「お~お~、そんなにたくさん食いやがって、一体どうする気だよ?」などと冷やかされた。
その傍らで自分は美味しい物をお腹一杯になるまで食べるのだ。

おそらく母も台所でこっそり食していたに違いない。
実家で私は美味しい物や好きな食べ物を満足するまで食べた記憶がなく、どこの家庭でも暗い雰囲気の中で質素な晩御飯を食べているものと長年誤解していた。
父は食事のマナーも最悪なので食卓でその姿を目にすることすらたまらなく嫌だ。
それでも母は家族団欒の時間を持とうとしたので、私にとってそれは暗く嫌な時間でしかない。
そこにはもちろん笑顔も会話も、食欲も無いから。


そんなわけで実父のことも父親と認識することができなかった。


高校生の時はブラザーコンプレックスまがいの感情が抑えられなかった。
仲の良かった女友達のお兄さんが羨ましかった。
部活動の同級生の男子は偶然にも皆長男だったのでやはり兄として見ていた。
性的感情を持たないまま実父以外の人を父親の代わりとして願望を満たすことは不可能だったのかもしれない。


異性に対して性的なものを感じたのは大学の研究室で少し仲の良かった後輩と口喧嘩の後の仲直りがきっかけで、
初めての感情はあまりに衝撃的で思わず人目を避けて物陰に隠れた程だ。


でも実際に付き合ったのはなぜか同じ研究室の別の後輩。
後輩とはしばらくして深い付き合いとなり卒業後も何年か続いたけれど彼には父を求めていたと思う。
非常に頭の良い彼は私の心を見抜いていたのかもしれない。
付き合い続けるうちにいつの間にか私の中の足りないものが補われていた。
そんなわけで彼との生き別れは肉親を失うように辛かった。


その後は職場の上司を父親のように慕った。
厳しく優しく社会人として必要な要素を教えてくれたその人は忘れられない恩人となる。


私の心には「母」がいない。
実母に育てられたのに何故だろう?


母は両親から勉学や習い事を強いられることなく育った。
大人になってからそのことを「親を恨むほど後悔した」という。
小学校へ通う間、母は私の勉強をみてくれた。
私の従姉の成功が羨ましかったのだろうか、母は私にピアノを習わせた。
学校から帰宅すると部屋に一人閉じ込められ、

ピアノの練習と勉強のため友達と遊ぶことを禁止された。


何年か経って私は勉強もピアノも良い成績を修めるようになった。
母は私を褒めることはあったが馬鹿にした口調なのでまるで嬉しくない。
ある時「今度オール5の成績を取ったらお母さん逆立ちして家中を一周する」と言う。
次の期末の成績は「オール5」だったが母は約束を守らなかった。
別に母の逆立ちが見たかった訳ではない。
幼い頃から私の心は虚しかった。
父はずっと家庭や子育てに無関心で、時々つまらないことで癇癪を起しては

怒鳴り散らす。母に手を挙げて殴るフリをすることもあったようだ。


鏡の前で髪を整える姉を見て母は私に「学校で男に見せるためなのよ。

色気付いちゃって、嫌らしい。」と言った
だから高校生の私はいつも長い髪を頭の後ろで一つに束ねていた。
すると母は言った。「そういうのをバカの一つ憶えっていうんだよ。」
「色気違い」と呼ばれるよりはマシなので卒業まで同じ髪型で通した。
この頃母に服や下着を買ってもらった記憶がない。
休日に友達と会うときや、体育の授業の着替えの時間は恥ずかしかった。


大学生になり少しでもお酒の匂いをさせて帰宅すると母は

「のんべえ!あばずれ女!」とヒステリックに叫んだ。
その後「私がアル中で困っている」と親戚や私の友人の親にまで相談したらしい。
クラスやサークルの飲み会に参加しただけだったのに。
そういえば母に服を買いに一緒に街へ出たことがある。
私は「これが欲しいな。」と気に入った服を母に示すが、
母は「そんなのみっともない」と一蹴するので結局何も選べない。
毛玉だらけのセーターを着て外出しようとすると母は

「ちょっと、何?その貧乏臭い服は!」と睨みつけた。


私はどんなに頑張っても心から褒めてもらえず、
私が母の思い通りにならないと、無視され、怒鳴られ、憎々しげに

否定的な言葉を浴びせられた。
私はいつも無気力で、生きることはつまらなかった。


母は「○子には、お母さんが一生懸命躾をしても無駄」と言うが、

私には親から躾を受けた記憶がない。
私に躾を教えてくれた人はピアノの先生、本やテレビ、

5年間も付き合ってくれた彼氏、そして職場の上司。
心温かい彼氏や上司は私の心の拠り所だったけどもう付き合いはない。


実家は私にとって
心が安らぐ場所ではない。