"幸福の便りというものは、待っている時には、決して来ないものだ。決して来ない。友人を待っていて、ああ、あの足音は? なんて胸をおどらせている時には、決してその人の足音ではない。(中略) 全然あてにしていないその空白をねらって、不意に来る。不思議なものだ。"
太宰治の「正義と微笑」(『パンドラの匣』収録)というなかでの一節。
ちなみに太宰の出典は、基本的にはすべて新潮文庫より、です。
僕はこれに反論したい。
「幸福よ、来い!」と思っていながら、それが本当にやってくるという人は、往々にしてある。
少なくとも僕の周りには数人はいる。
運がいいなあ~と、この上ない羨望の眼差しでその人をみている。
僕はこの引用の通り、幸福の便りを待っていても一向に来る気配がない。
どうにかその運を手繰り寄せようと努力をしていても、その便りとやらは僕の所には来ず、大した努力もせずに、人を見下し、自分を誇張しているようなやつに送られる。
世の中そんなものではないのか。"決して~"とは言えないよ、太宰先生。
ちなみに、「正義と微笑」という小説は、日記スタイルだった。
とても読みやすかった。
どこかブログのような感じでもあった。
努力をしたって報われない。僕の人生はそんな気がする。
そうなれば簡単な答えは2つ。
努力をやめるか、人生をやめるか。
でも、そんな簡単は選択はしたくない。
自殺なんてものは、第一志望の地元の新聞社を最終面接で落ちた時、ジャーナリストの夢が絶たれた時、そして今、と何回もあった。数えきれない。
それでもそんな簡単な選択をすると、家族に迷惑がかかる。
自分の目標にも到達できず、人に、それも家族に迷惑をかけるなんて、正真正銘ゴミ人間だ。生ゴミだ。
これを考えると死ぬなんてことはできない。
僕はこんなに苦しんでいるのに、巷ではオリンピックが東京に来ると浮かれている。
2020年なんて考えられない。来年どうしているか、いや、12月までにどうなっているか、だ。
気乗りはしないが、いつものフレーズで締める。
元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
