時々、近所にある小さい昔ながらの中華屋さんに行きます。昔から夫婦で営んでるこの店は、何だか味があって、時々無性に行きたくなります。




そういう店って近所にあったりしませんか?




何だか懐かしい気持ちにさせてくれたり、特に特徴の無い店でも、何となく良い心地を感じさせてくれる店って、その街に必ずありますよね。



私は勿論、昭和生まれなので、特にそうしたお店には反応してしまいます。古き良き時代と言うのは、若い頃は何とも思いませんでしたが、ある程度年齢を重ねた今は、何だか心惹かれてしまうんですよね(笑)



それも年齢と言うことなのでしょうか?



時々、ゆっくり散歩をしながら街を見渡すと本当に時代は変わったと感じます。少し歩けば、何処にでもコンビニがあり、お腹が空いたと思えば、数百円で牛丼を食べられる時代です。




凄い時代になったと感じます。価格破壊もここまで来たかと何時も感じますが、こうした時代に誰がなると思ったでしょうか?何時でもどこでも食べる事が出来て、困ることは殆ど無い時代になりました。



そうした時代の変化と共に、収入格差であったり、沢山の問題が社会的に起こってる現状もあります。




驚くのは、それだけではありません。


それに対応してる今の私たちに一番に驚きます。




例えば、収入に関して格差があるとします。一方は好きな時に好きな物を食べられます。高級店でも、格安の牛丼でも何でも食べられる訳です。ただ、もう一方は、食べたいものがあっても牛丼で我慢しなければならないのです。



オフィス街近くに、沢山のお店が並んでる場所があると、ランチ時には沢山のサラリーマンや近隣で働いてる方々が昼休みを取っています。



すると、美味しそうなお店で食事を摂ってる人、コンビニの弁当とお茶を買い、その辺の路上で座って食事をする人を見掛けたりします。全てではありませんが、そこには自由に選択出来る人と、出来ない人が分かれてる光景を見ることが出来ます。



そして、その人達は、それが当たり前だと思ってる印象を私は受けてしまうのです。そうした対応能力ばかりではなく、慣れと言う物にとても驚くのです。





時代はどんどんこれからも変化を遂げて行くでしょう。そして、環境や、人々の生き方ももっと多様化して行くでしょう。どんな未来になるかは誰にも解りません。当然、自分が将来どうなっているのか、明確に答えられる人は居ない訳です。





冒頭に戻りますが、私は、そうした時代の変化、時間の流れの中でも変わらずに、シンプルに、ゆっくりとした時間が流れる様なお店を見つけるとついつい入ってしまいます。



ついつい食べ過ぎてしまいます(笑)


今日は、パラパラな炒飯と、炒め物を戴きました。本当に美味しく、そして心が癒された気持になりました。



とよだのブログ

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私は、そうして昔ながらのお店で食事をしながら考えたのです。



もしも、このお店を選択出来ない状況だったら?好きな時に好きな物を食べられない状況だったら?




だからこそ、日々の時間を大切に過ごすことを忘れてはならないと常に意識をしながら生きて居るのだと思います。




変わらない物に、時々触れることによって良い意味で変わる事、変わって行く事の素晴らしさを噛みしめた様に思います。