うちの息子の小学校では、
通学の際、個々に登下校するのではなく、
「通学班」で集まって登下校する。という仕組みになっています。
朝の登校の際、
今年度から「毎朝付き添って歩いてくれる保護者」が一名現れました。
初めはただただ、
「親切な方なんだな」と思っていました。
次第に、この方が
通学班の事務連絡に用いているグループLINEに、色々と【子供たちの歩き方】や【不審者の可能性があるかもしれない人】などについて、時々、発言するようになりました。
それを拝見するうちに
「親切な方なんだな」という印象から、「熱心な方なんだな」という印象に変化しました。
その後、そのグループLINEでの発言が積み重なるにつれて、「もしかして少し変わった方なのかな?」と思うようになりました。
そして、先日ふと何気なく息子に尋ねたんです。
「通学班にいつもついてきてくれる人って、どんな人なの?」
ええ、そして冒頭のタイトルなんです。
「この前さ、AくんとBくんが、急いで、走ってって言われたのに、早歩きぐらいしかしなかったの。そしたら、AくんとBくんが通り過ぎた後に、『あいつらマジムカつく、死ね。』って呟いてた。」
「えっ」
なんか、やり場のないモヤモヤが発生。
「死ね」ってそんな気軽に思ったり、口から出たりします??
こういう時、「普通」ってわからなくなる。「普通」って自分の中の感覚でしかないから、自分の物差しで、勝手に相手を「おかしい」って決めつけられない。
そもそも、毎朝子供たちの安全のために自主的に通学班に付き添ってくださっているわけだし。そんな親切な方を「おかしい」って思っちゃダメなはず。
とりあえず、「死ね」って心の中で思ってるだけなら良いとして、でも息子や他の子の聞こえる範囲内で「死ね」って呟かれるのは嫌だな。でも直接、息子が言われたわけじゃないし。でもやっぱり、心の中で「死ね」って思われるのも怖いな。
でも、毎日毎日、怪獣のような集団を相手にしていたら、腹も立つだろうし仕方ないか。でも、そんなに腹が立つなら、通学班についてこなくても良いんだけどな。でも、ついてきてくれてるのは、親切だしありがたいこと。
と、自分の中で「でも」が大量発生。
着地点見えず。
そして、どう着地しようとも手の打ちようがない。
「いつも通学班の付き添いありがとうございます〜。うちの子、何かご迷惑おかけしていませんか?ところで、大変お世話になっているのに申し訳ないですが、子供たちに聞こえるとこで、死ねって呟くのは控えてもらえますか〜。」
なんて言えるはずないんだもの。
息子の聞き間違いか勘違いでありますように。
うーん。そもそも、なぜ付き添っているんだろう…。
もしかして、お子さんが何か通学班の中でイジメられたとか?でも、仮にそうだとしても、「死ね」はあまりにパワーワード…