月曜日のラジオで安仁屋さんがウソをついちゃいかん。と話されてるのを聞いて、僕はウソつきだから唸った。
それからふと思い出したのは、ウソをつかれたことがきっかけで取引をやめる決断をしたことがあったことだった。
それで何が違うのかと思い巡らせた。だって自分はウソをつくのに、人のウソを許せないというのはよほどの人物だからだ。
僕に限ってそんなことないはずだ。と、僕は信じたい。
それで安仁屋さんは本当にウソをつかないのか考えた。
絶対についてるはずだ。だってあれほど登板過多だった選手。
体が満身創痍でも監督からイケるか?と聞かれて「大丈夫です」ってウソをついてたはずだ。
あとはお酒が好きだから飲んだのに飲んでないってウソをついたりもしてたかもしれない。あくまで憶測だけど。
でもたぶん安仁屋さんが言いたかった「ウソはいかん」ってそうゆうことじゃないんだと思う。
まぁそもそも世の中には優しいウソも存在するんだから当り前っちゃ当り前。けどウソの良し悪しを分別するのはかなり骨の折れる作業になりそうだ。ただそんなことしなくても、なんとなくわかるよね。
ウチの長男くんが通ってる学童のお兄さんが、自分は3回死んで生き返ったんだって!と僕に教えてくれた。年も2024歳だって教えてくれた。
だけど僕は「ジーザス・キリストか!」なんて言わない。
言っても「????」ってなるだけだし。
キリストを知らないとわかった上でのボケに対して親が横槍を入れるのはナンセンスだ。
それはあくまで長男くんと学童のお兄さんの関係性の上で成り立ったコミュニケーションで、僕が入るべきものじゃない。
だけどそれがわかってくれない親御さんがいる。
親しくなったお客さんの子どもとコミュニケーションを図ろうとして冗談でウソを教えたりすると、「ウソを教えないでください。信じちゃうから」なんて介入してきたりする。
勘弁してほしい。そんな風に介入されると、子どもとの直接の対話ができなくなってしまう。いつまでも個人じゃなく、親に付随した存在として扱うしかなくなってしまう。
いつも正しいことを教えるのが正解とは限らないんじゃない?
子どもがウソを信じれるのは、それだけ世界がファンタジーに溢れていて彩り鮮やかな証拠だと思う。無知を嘲笑うようなウソではなく、お子さんを貶めるようなものではないのだから。マジでさー。
それがわかってもらえないと、僕は笑いのセンスがないとんでもなくつまらないヤツに見えると思う。だって子どもに向けた冗談だから。
大人に向けてないよ?ちょっと見くびらないでほしい。
まぁけど笑いのツボが浅いかもしれない。
でも決して悪いことじゃないと思います。
つまらないことで笑い合えるというのは尊いことだと思うから。
大事なのはコミュニケーションであって、笑いのセンスじゃない。
笑いに厳しいあまりに関係が悪くなったとかは本末転倒です。
でも笑いが合わないと関係も長続きしないっていうのは、あるかも。
それなら早々に見切りをつけて離れるというのもアリだけど。。。
あ、ごめんなさい話が逸れました。
ウソには時々、潤滑油みたいな効果があります。
あるいは大瀬良のようなポーカーフェイスが勝負事では重要だったりします。九里亜蓮みたいにいつもいっぱいいっぱいの表情で戦うのも個人的には好きだけど。
ヒーローインタビューで、ウソでも「みなさんの声援で勝てました」って言ってくれると盛り上がる。
詐欺やフェイクニュースはもちろん、悪質なウソはいかんけど、適度なウソはよろしいのではないでしょうか。ね、安仁屋さん。