忘れられない運動会の思い出


時は1987年。昭和62年。


小4の時の運動会だけ

徒競走がなかった。

障害物競争だった。


平均台とかネットをくぐるやつ。


小1~小3までの徒競走では

いつもドベかブービー

(最下位と、最下位の1つ前)


泳ぐのは同じ学年の

誰にも負けなかったけど

走るのは短距離も長距離もダメで


小4の障害物競争も

どうせドベかブービーかだろうと

思って臨んだ。


だけどあの運動会の雰囲気。

スタートのピストルが鳴ると

私の気持も高揚し、

一生懸命走った。

一生懸命走ったって、

どうせドベになるのだろうと

思いながら走った。



しかし、結果3位。

ドベじゃなかった!


障害物競走は足の速い子でも

少々手こずっていたようだった。

そして悔しそうだった。


確か走者は5人ぐらいだったから

大した事ではないけれど


私にとっては大躍進だった。


私がドベにならずに

3位だったと聞いて、父と母は

あれだけ私に買い与えなかった、


私が学校で〝持たざる者〟として

散々虐げられているのを知っていても

「そんなブームはすぐに終わる」と

買い与えなかった、

あの、

任天堂ファミリーコンピュータの

購入を決意してくれた。



小4の時の障害物競走で

私は言い知れぬ様々な事を学んだ


その事は良くも悪くも

人生に活かされている。



もし私が、小4の障害物競走でも

低い成績だったらと考えると


んー、複雑。




同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する