新幹線で仙台について、
改札口を通り、
下の階に行こうとする時に目に入る光景
こんな羽生くんが迎えてくれるまち仙台。
ここから東口通路を通り、アンパンマンのところから
左を見ると
「仙台が大好き。皆さん仙台に来てください」
と羽生くんは言います。
今回の観光ビデオのずっと前からね。
そしてファンの方々も、もうずっと前から仙台に来てくれているのですよね。
私がノッテ落ちした2016〜2017年には、すでに皆からの仙台に向けての熱いパワーを感じて驚いたものでした。
アイリンや七北田公園、秋保神社や大崎八幡宮、定義山や仙台六芒星巡り。そして羽生くんが訪れたお店など。
仙台を初めて訪れてくれた友達たちとそういう場所を回ったりしましたが、私が1番驚いたのが、こちらが誘わなくても「被災地に行きたい」と言ってくれる人が多かったことです。
仙台は遠いし、次にいつ来れるかわからない貴重な日程の中に「被災地」を入れてくれるというその思いが、本当に尊くありがたいことでした。
羽生くんが「忘れないで」とずっと語って行動で示してくれるから…。その心が確実にファンの皆さんの中に入っているのですよね。
閖上、荒浜小学校、女川、石巻日和山、大川小学校…。
遠方から仙台に来てくれた友たちと、その都度私も一緒に被災地へ行かせてもらいました。
被災地まで行かなくても、観光地まで遠出したり市内でたくさん買い物してくれたり、遠くからもネットで買い物してくれたり…羽生くんのファンの皆さんはいつも心強い存在で感謝の気持ちでいっぱいです。
さて
今日は、半年も前なのですが今年の6月の出来事を書きます。
(この時にブログに書く機会をのがしてしまって、いつか…と思っていたことを。)
6月。
昨年、一緒に七北田川の白鳥に会いに行ったMさんから、利府のFaOIに来るとの連絡がありました。
以前からMさんが弾くピアノを聴かせてもらいたくて頼んでいたのですが、その願いが叶えられることになって…。
待ち合わせは、仙台市地下鉄東西線の東の終点、荒井駅。
仙台の東側は太平洋であり、そこは大震災で被災した沿岸部の方になります。
この東の終点の荒井駅には
「せんだい3.11メモリアル館」が併設されているのです。
そして
こちらにはピアノが置いてあって、何もイベントがない時には弾かせてもらえるということでした。
この日、
Mさんが弾いてくれた羽生くんのプログラム曲。
「あの夏へ」
「ホープ&レガシー」
私の大好きな究極の浄化と癒しプロ達。
交流館の小さなコーナーに響き渡る
穏やかで温かで、時に力強い音色。
幸せな時間。
観客はその場にいたお母さんと男の子。男性数人、そして職員さんと私だけ。
なんてもったいない贅沢な時。
男性に「プロの方?」と思われるくらい上手だったのです。
そして最後3曲目は何を弾いてくれるのか教えてくれなかったので、じっと聞き耳をたてて始まるのを待ちました。
そして
ピアノが奏で始めたその調べに、
何とも言えない感情が湧き上がって
胸がぎゅっとなりました。
その曲は「花は咲く」
館内に響く「花は咲く」の音色。
この曲はやはり特別。
ピアノの音と一緒にいろんな人の歌声も聞こえるようだったし羽生くんの滑りも見えてくるようでした。
そう。
ここは仙台沿岸部の震災被害を忘れないための場所。
せんだい3.11メモリアル交流館。
この日、そこにいた観客は数人だけだったけれど、
でもあの日、
この近くで
天に上った尊い方々のたくさんの魂も、きっと、そこここで、
耳を傾けてくれていたような、
そんな気がしてなりませんでした。
この曲を選んで、祈りを込めてここで演奏してくれた友の優しさに感謝致します。
ここの交流館に来たのはもう一つ目的があって。
2階で催されていた植物画の展示会。
「ここに根をはる」
津波のあとの植物たちとその環境
本 企画展 では 津波浸水域に芽生えた植物を描き続ける 画家 倉科光子の水彩画作品15点と仙台東部沿岸地域の植物をめぐる環境の変遷についてご紹介します。
すべてが一変したあの日。
海辺の暮らしを見守ってきた
松林はなぎ倒され 、
一面が土砂と瓦礫に覆われた光景に
色は無く、
緑豊かな自然は
すっかり失われたかのようでした 。
しかし 春を迎えると、
そこには 再び芽を出し、
花を咲かせる植物の姿がありました。
静かに そして 雄弁に自らが根を下ろした環境を語る 植物たち 。
津波は長い間 地面に埋もれていたタネを掘り起こし、 浸水域にはそれまで見られなかった植物が 繁茂しました 。
それらの多くは消えてしまったように見えますが 、いまだにちょっとしたきっかけで 芽吹き 、根をはる姿を私たちに見せてくれます。
自然の脅威に私たちが 呆然としていた頃 、小さな植物は芽を出す準備に取り掛かっていた事を 私の絵から読み取っていただけたら幸いです。
倉科光子
以上。企画展「ここに根をはる」のフライヤーから抜粋。
あの大津波のあと、浸水した土地はしばらく元に戻れないと言われていましたが、、
10年過ぎての調査では環境が変化していない場所での植物は元に戻ってきているようでした。(勿論戻っていないものもあります)
あの春。
流された自分の家の敷地内で水仙が咲いているのを見つけて、その時に仙台を訪問されていた、当時の皇后さまに小さな花束にしてお渡しした方がいらっしゃったのは有名な話です。
植物の生命力は、思うよりずっと強く神秘的なものなのかもしれませんね。
「ここに根をはる」
とても力強い言葉。このフライヤーをずっと我が家のリビングのボードに貼って毎日見ていました。
ここに根をはる
羽生結弦さんみたいだな。
大震災を経験して、さらに挫けそうな様々な出来事に遭ってもなお、顔をあげ、凛として真っ直ぐに上へ上へと伸びようと努力する。
ここ、
仙台にしっかり根をはって生きている。ずっと愛して尽くしてくれている故郷で。
でも
今一度その意味を考える。
「ここ」とはどこなんだろう。
場所や地域という狭い感覚ではなくて、「ここ」とは「スケート」かもしれない。
自分のスケート道というものに、
しっかり根をおろして生きているのかもしれないと思いました。
植物画展示を見てピアノを聴かせてもらった後は、少し近辺を回って、Mさんとはすぐにお別れの時間でした。
行動的な彼女は、この前日に震災遺構の荒浜小学校で、翌日には閖上の海で祈りを捧げてくれました。
気持ちを奮い立たせて堤防に登り、
降りて浜辺まで歩き、海をみつめる。
祈る。
被災地から遠い彼女が、あれから12年過ぎても、どうしても閖上の海に祈りたかった理由があって。
https://ameblo.jp/aer-32182988/entry-12806169046.html
もかさんのブログです。ぜひ、訪問して読んでいただけたらと思います。
直接的な被害はなくても、被災した土地の近くに住んではいなくても、
あの大震災は、日本中の一人一人の心の中に、それぞれの傷をもたらしたのだと思います。
羽生くんは、そういう傷をかさぶたを時々なでてあげて…と話していたこともありましたね。
そして
各々が、そっと前へ進むために背中を押してくれる、その力をくれる羽生結弦さんという人。
https://twitter.com/notte_2024/status/1733293531576549651?t=LJWPFSeG9qBgFGG3NfFsoQ&s=19
羽生くんは、
ソチの会見で無力感を口にして、
そしてずっとずっと、地元のために行動してきてくれました。
そんな愛する故郷のまちを、
いつか近い未来には、自由に歩けるようになっていて欲しいと心から思います。
そして
私の勝手な思いですが、もし仙台を飛び出してやりたいことができたならそうして欲しい。
羽生くんの人生は羽生くんのものだから。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
12/14はエブリィで生出演がありますね。どんな時も、真っ直ぐに一生懸命に行動している羽生くん。楽しみです。
そして年が明けたらすぐにRE_PRAYがやってきます。どうぞ日々の練習、準備が滞りなく進み元気に当日を迎えられますように🙏