今日は親目線での気持ちを。
私には二人の子供がいて、中学生のちゃんも小児慢性特定疾患を患っている。
内分泌系の疾患であり、治るものではないにしても命に直結する疾患ではなく、治療法もあるので受け入れるのには時間はあまりかからなかったし、何年もフォローを受けていたので疾患名がついて原因がわかって安堵した気持ちの方が大きかったように思う。
外見的なものが大きいのでこの先大人になった時本人がどう思うのかな…とは思うけど、本人自体あまり気にしていないのでその時がきたらかなとも思っている。
そして今回ちゃん。
自分の子供が長年関わってきた脳卒中になるなんて当たり前だけど夢にも思わなかった。
ちゃんは出血源がはっきりしないので脳動静脈奇形疑いの域を脱しないのだけど、『脳動静脈奇形は先天性の脳血管の奇形で、年間10万人に1人程度が発症するまれな病気』と言われている。
頭痛もちでもなく、昨日まで元気に走り回っていた息子の日常がこんな形で奪われるなんて本当に信じられない気持ちでいっぱいだったし、今もそれは現在進行形だ。
職業柄、先が見えてしまう部分と、子供の回復力が成人のそれとは違うのでその可能性を信じている自分がいる。
高次脳機能の部分よりはやはり片麻痺へのショックが大きい。
当たり前にできていたことができなくなり、入院中はどこもかしこもバリアフリーの生活でいつも医療従事者が傍にいて守られている環境。
一歩外にでれは脳出血の症状を知らない人が大半のコミュニティに戻るわけで、できないことに打ちのめされる場面が想像以上に多いんだろうと思う。
身体を動かすことが大好きな子だから復学したところで友達と同じようにできないことでどんな思いをするのか、それはここからずっと続いていくことを思うといつもどこかで何かを諦める選択肢を持ち合わせて生きていかねばならなことを思うと胸が張り裂けそうになる。
お母さんは医療従事者だから頼りになるね、心配ないねとよく言われるけど、それ以前にただの親だから、何者であったとしてもいろんな気持ちで時折押しつぶされそうになる。
でも、頑張っているちゃんを見ていると自分が心も身体もダウンしているわけにはいかないからそういう気持ちには気づかないふりをして、ひたすら日々に伴走しているだけ。
その日の、その一瞬、一瞬にしかフォーカスしないことにしている。
一番苦しくつらいのは本人で、それを抱えて生きていかなくてはならないのも本人だから、辛いだの苦しいだの言っていられない。
私たち親ができることはもういらないといわれるまでちゃんを全力でサポートしていくことと、健康な身体でいること。
そしてきょうだい児であるちゃんのケアもしっかりとしていかねばならない。
気持ちが折れる暇はない。
今はただ、家族みんなで生活できる日を楽しみに頑張っていくだけ。