そこからは一分一秒がとても長く感じた。

目の前から息子がいなくなったことで急に現実に引き込まれ、恐怖に包まれた。

息子が救急搬送されたのが20時前。手術が始まったのが21時前後だったと思う。

翌日は月曜日だからまずは職場に連絡をとらねばと思い、院長に電話。

その後同僚に連絡したけど繋がらず、グループLINEにとりあえず息子が脳出血で手術を受けていることを伝えた。

突然のことでスマホのバッテリーも少なかったことを覚えている。

手術待合いで椅子に座っていることもできず、時折恐怖の波で涙が込み上げてくる‥この繰り返しだった。

2時間近く経った頃集中治療室の看護師さんが入院の手続きの案内をしに来てくれた。

もう何がなんだかわからないまま話を聞き、入院の説明をしてくれているんだから命は助かるってことだよね?と思い、「息子は大丈夫なんでしょうか?」と恐る恐る聞いてみたら「はい、頑張ってますよ。突然のことで驚かれたと思いますが、息子さん無事ですからね」と声を掛けられ安堵でその場に崩れ落ちそうになった。

手術は4時間が目安と言われていたけど、3時間を超えた頃から手術室へ出入りするスタッフが増えた。

輸血を持って行っているのかな?とか自分の知識の中で考えうることを考えて見守っていた。

2時前くらいに手術室が開き、手術を担当してくれた先生から声をかけられ、とりあえず、手術が終わり救命できたことを告げられ、細かい説明をするのでSCUに移動するように言われた。

SCUの家族説明室で息子の脳の画像を見ながら説明を受ける。

 

救急で私が説明を受けた後に再出血を起こし、意識レベルが一気に低下したこと、緊急的に外減圧と開頭血腫除去術を行ったこと。出血点が不明なため血腫はほとんど取り切れなかったこと、後遺症として高次脳機能障害や麻痺が残ること、しばらくは鎮静をかけてSCUで管理することを伝えられた。

 

その後看護師さんからSCUに持ってきてもらいたいもの、付き添いはできず、面会は15分程度であることを伝えられ、今日も顔見れるから声をかけていってねと言われた。
 

しばらくして呼ばれて息子のところに行くと数時間前とは別人のような人工呼吸器に繋がれ、管だらけの息子が横たわっていた。

「よく頑張ったね」「怖かったね」「明日もまた会いに来るからね」そういった言葉を息子に向けて発したことは覚えている。

ずっと付き添いたい気持ちももちろんあったけど、まずは明日また息子に会えるように仮眠をとってくるように言われ、夫とともに帰宅したもののもちろん一睡もできず、家に帰ってからずっと泣いていた。