信じたくない自分とどこかものすごく冷静な自分がいて、すぐに119番通報をした。

消防指令室の方から聞かれる質問にも冷静に受け答えをしていた記憶がある。

「今から10分かからず到着します」と言われ、救急車を待つ間、仕事道具から血圧計やパルスオキシメーターを取り出して血圧を測ったり、パルスオキシメーターで酸素濃度を測定し、恐怖で泣いている息子に「大丈夫だからね」と声をかけ続けた。

10分もしないで救急隊が到着。

自分が測定したバイタルを書いたメモを渡し、今までの状況について説明をする。

すぐに救急車に乗り込み心電図などを装着しながら救急隊が息子に声をかけてくれる。搬送先を探し、第一候補の病院は受け入れ困難とのことだったが、家から近い総合病院が受け入れ可能ということで搬送先もすぐに決まり、家から10分程度の病院へ搬送が決まった。

飲酒をしていた夫が救急車に同乗し、私は後ろから車で追いかけていった。

感染症対策で救急の待合には一人しか入れないとのことで私が待ちあい、夫が車で待機をすることになった。

救急の先生から予想通り、頭の中で何か行っている可能性が高いのでこれからCTを撮りに行き、脳外科の先生に診察してもらうといわれ、また待合室でしばらく待機。

看護師さんから本人が体重○○キロと言っているけど間違いないかと聞かれ、間違いないですと伝えその時点で意思疎通は自宅と同じで取れていた。

しばらくして脳外科の先生に呼ばれて脳画像をみせてもらった。

脳出血だとすぐに分かった。

その時点では血腫量は20㏄程度と言われていて、これから手術で血腫を取ることを告げられた。

が、次に息子を見たときは完全にレベルダウンしており、さっきと全く違う状況になっていて、先生から「お父さんを呼んできてください」と言われ、もう意思の疎通が全く図れず、命の危険すら感じられる緊迫した状態の息子がそこにいた。

夫がすぐに入ってきて、先生より「おそらく再出血をしたと思われます。血腫を取るというよりはまずは救命処置の手術になります」と言われた。

何が起きているかわかっているようで夢か現実かわからないまま意思疎通の図れなくなった息子に声をかけ、手術前にCTを撮ってそのまま手術室に行きましょうとばたばたと手術の準備が始まった。

手術室に向かうエレベーターの中で、もしかしたら息子にもう会えなくなってしまうの?そんなことないよね?絶対助かるよね??

と心の中で祈るような叫ぶような気持ちでいっぱいだったことを今も鮮明に覚えている。

手術室の前で息子に「頑張ってね」と声をかけて先生に「よろしくお願いします」というのが精いっぱいだった。

 

続く。