先回の話の続きになるんだけど、

少年の言葉、
『抱っこかおんぶどっちがいい?』

に物凄く驚いた話が終わった時に、


『私も、言葉は違うけど、

全く同じ体験をしたことがある。』

って、COがその話をしてくれて。


ブログを書きながら、

思い出して、

思うところが色々あって、

語られた状況を想像して、


本当だな。言葉っていうか

エピソードそのものは違うけど、

少女の愛着の歴史からくる言葉

に驚いた体験は、

同じだなと思った。


一つ気づくと気づきって連動するよね。


私の今のCOは、元被虐待者=異邦人の方で、


自分のCOのカウンセリングで

返ってくる言葉や表情、

肌で感じる感覚みたいなものから、


普通に愛着して育った成人期の人でも、


異邦人でもなく、


回復した異邦人だな


って感じてるんだけどね。


何処をどうって

説明すると長くなるから端折るけど、

接する度にそう感じてる自分

って確かに居るんだけど、


それとは、また別に、


自分だけが違う、人間じゃない、

って感覚も常に何処かにあるんだよね。


物心ついた5歳の頃には、

既に、かなり深い離人症の状態で、

そんな私から見ると、

周りに居る自分以外の人と自分は、

全く違って見えてた。


物心ついた時に、

自分だけが他の人と違う。

自分だけが人間じゃない。


とハッキリ自覚してたんだから、

そんな年で、

どんだけ心壊れてたかって思うよね。


だからだと思う。


自分だけが他の人と違う。

自分だけが人間じゃない。


って感覚がどうにも深い。

というか、

深くまだ残って居る部分

がどうにもあるんだって気づいた。


これって、愛着の無さ、心の繋がりの無さ、

孤立無縁で孤独だった。

その孤独の深さと

イコールなんだろうなと思う。


自分のCOを

回復した異邦人

と感じていながら、

何処かの部分では、

↑より欠損が深いところだと思うけど

頑なに

COは普通で私とは違う‼︎

って感覚を持っている自分がいたけど、


COの話してくれたエピソードに、

愛着関係を経験しなかったCOが見えて、


今まで、

自分とは同じと思えなかった部分に対して、


あ〜、同じなんだな。

同じ欠損感、

大きな空洞が心の中にあるんだなって、

リアルに実感できた。


ブログを書かなくなって?

っていうか、

頭の中真っ白で、

異空間にプカプカ浮いて漂っているみたいで、

言葉なんて浮かばないし、

何かを書こうにも、

雲を掴むみたいにスカッと滑って

書きようがなかったんだけど、


その間、

どんどん強く感じる

ようになっていってたのが、


自分と他者の間に、

(世の中って言ってもいいかも)

どうしようもなくある壁があって、


隔てられてる閉塞感と、

わかられない孤独と恐怖とわかられたさ

みたいなもの。


この間書いた、

ずっと話せなかった思いが話せた時に、


まだまだ、時間がかかりそうだけど、

この壁みたいなものが壊れる日が、


どうしようもなく感じる

他者との隔たりがある感覚が、

壁に囲まれて自分だけが閉じ込められている感じ

崩れ去る日が、

来るやもしれないという、


今まで思うことの全く出来なかったことが、

ボンヤリ思えて、

そこにほのかな希望を

薄ぼんやりだけど、

確かに光っているように感じたんだよね。


今まで見えなかった部分に、

同じなんだなと思えて、

希望の確かさをほんのり噛み締めました。


同時に、

違いにも気づいた。


まだ子どもの年なのに、

↑大人になった私すらないのに

って感覚があるからこの表現

ちゃんと愛着した歴史があるのを感じとった

驚きとしては、

同じだけど、


私は、抱っこ、

おんぶっていう愛着の原初的場所

であるのに対して、


COが驚いた部分って、


わかって貰えないなんて思いもせずに、

楽しさ、喜びを共有する

単的な表現を

↑ココ大事

さも当たり前にした部分なんだよね。


愛着の無さの濃度が濃すぎる育ちをした

私には、高度過ぎて、


COにその状況と説明をして貰ったから、

その驚きが自分と同じ種類のものだと

理解はできたけど、


その光景を見ても、

同じようには驚けなかっただろうな

って思った。


そこに気づいたら、色々、思い出した。


高橋先生の勉強会で、

異邦人は、

『皆んなはどうして生きているのか?』

↑この皆んなは、愛着して育った普通の人を指してる。

って聞くことがよくあるから、

自分の中に応えを持ってないといけないよ。


っておっしゃってて、


それ自体、

何日も余韻が残るほど驚愕するくらいには、

驚いたんだけどね。


異邦人って、

生きていることに意味が持てないんだよね。


楽しみ、喜び、生きている実感そのものが、

感じられない中育ちゆくから。


それ自体は、私も、そうだった。


フラッシュバックが、

頭の中に大量に炸裂した時、

生きていることに意味なんて全く無いことを

如実に自覚してた。


でも、そうなった時には、

子どもがいたから、

死ぬわけにはいかない。


だから、

生きている意味は娘がいるから。


それだけを握りしめて生きていたもの。


私に確かにわかるものは、

それしかなかったんだよね。


この話しを聞いたとき、

ファ〜って身体じゅうから、

何が溢れ出るくらいに驚いたんだよね。


だから、

もの凄く覚えている。


私にとって、

誰かに何かを聞くことって、

多大なる迷惑をかけること、

無責任で身勝手なこと、

殺される危険なことって感覚が

強烈に強かったから、

(↑たった一つの言動にいくつもの強烈な負の信念や感情が纏わりついていた。これがどんな言動にもあった。生きているだけで、地獄だったよね。)


大人になって聞いて理解しないと、

返って迷惑をかけるのだと

体験的に学んだけど、


長い時間をかけて

思い込むしか無かった感覚は、

消えないから、


湧き出てくる凄い恐怖に

抗いながらしなければならないから、

質問する

って苦手なことだったんだよね。


自分の中の質問することを許さない

思いこまされた固い恐怖に

振り回されつつも、

聞くことができたことって、


仕事とか、

そうしないと周りに迷惑をかける

と自分を納得させ 

言い聞かせてられることだけで、

いつも、何かを言う時、する時、それは本当はおかしいことじゃない。そう必死に唱えてた。

そうしないと湧き起こる恐怖に飲み込まれてしまいそうだったから、生きた心地など全くしない日々だった。


命すら

その辺の枯葉より粗末な扱い

をされて育った私にとって、


本当に、長い、長い間、


自分とは、


この世にあってはいけない生き物

でしかなかったんだから、


自分だけのために

それをしようなんて思わないよね。


聞いたら責められるしかないから、

聞くって、

命懸けな行為だし、


わからないことを聞けるか以前に、

困っていることから助けられることなく、

それが当たり前の環境の中を

生まれ育った私には、


本当は常に

自分が困っている状態だったこと

さえ知らなかったし、


わからないことを誰かに聞くって、

今より、良くしようと

誰かにアクションをするってことでしょ。


誰かに助けられて改善されるという体験も、

ほぼしたことがない私には、


未知の世界過ぎて、


誰かに助けを求める

って発想が全く思い浮かばないし、


聞いたことがないから、

どう言っていいか皆目検討もつかない

そういう状態をずっと生きていたから、


高橋先生の言葉を聞いた時、

『皆んなはどうして生きているのか?』

って問い

思い浮かびもしなかったと思った。


自分と他者は、完全に別の生き物

って感覚だった私には、


生きている意味がないとしか思えない

人間じゃない私と

他の人間を比べて、

皆んなはどうだろう?

って、発想しないよね。


種族が違う‼︎

とはなから思い込んでいたのだから。

↑人間である自分と同列に考えて、

猿はどう思うか?うさぎはどう思うか?

って考えたことある人いないでしょ?


他の異邦人の多くは、

その疑問が口から出せる状態なんだと思って、

なんとも言えない気持ちがしたよね。



今は、


異邦人たちがした質問って、


なんで生きているかわからない。

生きていたいとすら思わない。

それなのに、今日も生きている。


苦しくて、苦しくて堪らない。


どうにかそこから出たくて、

聞くともなく口から溢れ落ちたような問い

であって、


小さな頃から、

自己主張をして育つことのできた

普通の人がする問い、聞くとは、


趣きの異なる

自己の輪郭の薄い掠れた問い

なんだろうと思う。


それすら出すことすら出来なかった自分も、

それを聞いた頃より、

ハッキリ見える。


誰も、本人である私ですら、

どうすることもできない状態

に陥っていたんだな

と思うと、

ただ、ただ、物悲しいよね。


それで、

勉強会の異邦人の質問

の話の続きなんだけど、


高橋先生はこう答える

っておっしゃった言葉を聞いて、


『あっ、無理だ。例え聞けても、

それ言われても、

何を言っているか、

サッパリ意味がわからなかったわっ。』

って思ったの。


丁度、この事になってやっと、

高橋先生の答えの意味が理解できるくらいには、

心を取り戻していたから。


だから、

それ以前に言われても、


意味がわからなさ過ぎて、

わからないことすら、

わからなかっただろう私が

手に取るようにわかったんだよね。


高橋先生が、

おっしゃった答えって、

食の楽しみ、美味しいについてなんだけど。


これも、抱っこやおんぶと同じで、

愛着の原点的部分でしょ。


この時、

相手を見て、

引っかかりそうな部分

を応えてあげるといいんだよ。

とおっしゃてもいた。


食の楽しみって、

愛着の原点的部分だから、

引っかかりやすいんだよね。


喜び、楽しみを押し殺して生きていても、

回復を始めてから、

得やすい喜びでもあるんだと思う。


私は、食の楽しみを抑圧して、

殺し抜いていた。


物心ついた頃には、

毎食、

『お前のせいで、

ご飯の支度をしなきゃいけないから、

私は、大変だ。』

って、

言われなければ、ご飯食べれなかった。


煮崩れてドロドロになった上、

何日も経って、

腐っているんじゃないか

と怖くて手がつけられないものが並ぶ中、


黄色くなりかけた冷えたご飯を

ほんのり茶碗にすくって、

それだけ食べることも 

ざらじゃないような食事を!


食べないと、殴られるからね。


真っ当なものすら出ないのに、

責められて、

食べないという逃げも、

文句を言うという防衛も許されない状況。


全てが、

こんな風にがんじからめだった。


縄で動かないように縛られた上で、

フルボッコに殴られているような育ち方だと、

いつも思うけど、


まんまでしょう?


知的障害を理解してわかったんだけど、


母のこの言葉って、

『お前のせいで、

ご飯の支度をしなきゃいけないから、

私は、大変だ。』

って、

責めてるようにしか聞こえないでしょ。


子どものご飯なんか用意したくないんだよ。

めんどくさいから。


嫌だって言ってるのと、

良くやっているでしょ。私‼︎

っていう自慢なんだよね。


COと話してて、

それが理解できた時、

呆然としたよね。


『まさか大人(母)が、

(自分の)子どもに対して、

大人ならして当たり前なことを、

自慢しているなんて思わないよね。』


ってCOの言葉に、

乾いた笑いしかできなかったよね。


話し逸れちゃったけど、

食べることを

心理的に拒絶していたから、

食の楽しみなんて感覚

わかるわけなかったんだよね。


ある時、

カウンセリングで、

『私、いまだに、食べちゃいけない

って強く思っている自分に気づいて、


高橋先生の本に、

回復とは、

食べる楽しさ、喜び、美味しいを感じられ、

ぐっすり眠れ、

誰かと気持ちが通じること

って読んで、


私、ずっと、

美味しいって味覚があるってこと

だと思ってて、

被虐者の中には、味覚を失う人もいるからね。


私は、美味しいは知ってる‼︎


ってずっと思ってたけど、違ってたことに

やっと気づいた。


無さ過ぎて、

無いことすら気づけなかったんだ。


この3つのなかで、

1番凹んでたことに気づきました‼︎』


って興奮気味に語ったこと

を凄く覚えているけど、


多分、その後に、

勉強会の高橋先生の話を聞いたから、

理解できたんだよね。


生きている実感、喜び、それを日々、

普通の人は感じているから、


なぜ人は生きているのか?

という疑問とは、

無縁に、

生きていられるんだって。


頭だけじゃなく、

心で理解できたけど、


それと、

そこを生きているか?

っていうと、

なかなか…なんだよね 笑笑


どうしようもなく

そこに壁が立ち塞がっているの。


だけど、


今まで、


胸の奥にがっつり存在する

塊みたいなものがあって、


どうにも苦しくて、

動こうにも動けない。


話して吐き出したくても、

どこにも引っかかなくて、

言葉にできない。


もうこれ以上どうにもならなんじゃないか?

ずっとこのままじゃないか?

と思っていたから、


そんな部分が、

ほんのりほぐれて、


言葉になるようになってきたことが嬉しい。


この作業が、

嬉しい反面、

塊が解れると出てくる色々な感情が、

居た堪れなくて、

休み休みしかできないんだけど、

それでも、


わずかな希望に

救いを感じる思いがします。


変化できるかも…

すら持てなくなっていたので、


希望がある

って、大事なんだと

しみじみ、

しみじみ思っています。