娘のライナスの毛布のことを

変化の整理② 私の愛着の原点

書いて投稿してから、

あの毛布を失くしたことは

娘の采配だったなとフッと思った。


あの毛布が急に失くなることがなければ、

自分が毛布に愛着していたことに

気づくことは無かったと思うし、


私は愛着をしたことがないから、

失くなることがなければ、

どのタイミングで

毛布を辞めさせていいかわからず、

ずっと持たせていたと思うし、


急に毛布を失って、

ケロッとしてた娘を見て、

満たされたからだと

ハッキリわかったけど、


満たされる

ということを私は知らないから、

娘が自然に毛布離れしたとしても、

それをもって

満たされたから

とは私は気づかなかったと思う。


満たされることがある

と気づけたことは

私には大きなことだった。


私は、食事も世話も

満足にされたことはないし、

心理的には攻め抜き続けられ

涙も怒りも逃げることすら

奪われて育った。


甘えを全く知らず、

飢えに飢えてたけど、


甘えを知らないから、

満たされる感覚など知るよしも無いので、


普通の人は、

こうやって育って、

雪崩のように

人に寄りかかっていってしまいそうな

飢えなく、

笑っているのか?


ちゃんと甘えられたから

満たされているのか?

私にはわかりようがなかった。


それでも流石に

疑問には思うのだけど、


何も与えられないような育ちなのに、


贅沢だ、なんでも欲しがると

責め抜かれて、

なんでも望むようにしてやったと

殴られてもいたから、


現実が何が何だか‼️

ずっと混乱してわからなかったし、


こういう育ちをしても、

普通に、育つことが当たり前で、

できない自分がおかしい

って感覚が強すぎて、


あんな育ちをしたら

誰だってこうなるんじゃないか?

から心が動くことが

長い間、

できなかった。


毛布を失くして、

生まれてはじめて

何かを失くして惜しくて惜しくて

眠ることができない思いをしても、


私にとって毛布が大事なもの、

=愛着してたから

失ったことに惜しいと思ったのだとは

私は気づくことすらできなかった。


自分が毛布に愛着していたと

理解できたのは

今から5年くらい前だし、

毛布を失って15年以上後


毛布を失くした当時、

満たされることがある

という事象にちゃんと気づいていた私は

いたけど、


愛着を得たから娘は満たされ、

私は、それが無かったから

満たされず飢えていた。


私の受けてた虐待は充分に

酷いものだったとは

全くわからなかった。


その頃、

カウンセリングや

トラウマ治療を受けて、

愛着のやり直しをし、


良いことを良いことと

少しずつ

認識できるようになってきて、


育ちの中では

持つことの出来なかった体験を

沢山できるようになった。


前のCOに愛着して、

分離して、

大・中・小とぬいぐるみに

愛着していって、


小さなぬいぐるみ

シェリー・メイになったとき、

トラウマの先生に、


このぬいぐるみ、

まるで歩き始めた

幼児の女の子みたいでしょ。

前はなかったけど、

今は、この子が可愛いと思うの。

まるでお姉ちゃんになったみたいに。

先生、言いたい意味、わかる?

って言ったら、

中くらいのぬいぐるみに

愛着していた頃の私を

あの頃は、ぬいぐるみを

むしゃぶりつくみたいに

抱いていたからね。

と先生が言った。


私は赤ちゃんだったんだと思った。


それから

『私のもの』という所有の感覚を

心に持つことができた。

母親に愛着し、

毛布やぬいぐるみに愛着対象が移行し、

その子が大事にしているものを

周りの大人も知っていて

大事にされることで、

『私のもの』という

所有の感覚が育つのだそう。

大人になって財産を守り、

破綻せず生きていく為に必要なものなんだそう。


最後に愛着したぬいぐるみは、

ディズニーのシェリー・メイで、

大人が見て

とっても可愛いくみえる作りに

なっているの。

上にも書いたけど。


私の抱くシェリー・メイをみて、

トラウマの先生が、

本当に可愛いくて、

欲しくなっちゃうわね。

と言ったので、

いくら先生でも、

これはあげられないんだよ。

って言ったら、

いくらなんでも、

貴方からこれを取ろうなんて思わないわよ。

と先生が言った。


感無量で、

それ以上何も話せなくて、

次のトラウマ治療に行ったとき、


あの時ね。

多分きっと、

先生にあげられないと言っても、

先生は殴りかからないし、

我儘でキチガイだとも

言わないと思ったから言えたけど、

先生の言葉を聞いて

ホントにそうなんだと

わかって嬉しかった。

と言ったら、


大概の人は、

小さな子どもにも

譲れない大切なものがあることを

知っているのよ。

と私に教えてくれた。


忘れもしない。

帰りの電車の中、

ずっと、

その言葉が回ってた。


何でも差し出さなければならなかった。

お前は贅沢でなんでも欲しがる。

人の気持ちがわからないキチガイ。

それしかなかったら、

そんなこと知りもしなかった。


私も、母も、父も、姉も知らない。

私の家に知っている人はいない。


それが、

世の中の大概の人が知っている。


人口比率‼️

ってひたすら、

ひたすら、ひたすら思ってた。


カウンセリングを始めた頃、

私の話を聞いて、

COは泣いていたけど、

私はCOが何故、泣いているのか?

わからなかった。


私が凄く哀しいからと言って、

殴りかかってくる人や、

責め抜く人は知っていても、

泣く人など見たことがなかったから。


私は両親にも姉にも、

一度たりとも、

ちゃんと見えたことすら無い。


パンツが小さくなるのに怯えていても、

袖が短くなっていくのに怯えていても、

ご飯だよ。

と呼ばれて飯台に何もなく、

冷やご飯を冷蔵庫から出して、

ちょっとだけ食べて

ご馳走様をしても、

誰も何も気づかなかった。


母はその状態の私に

毎日、お前は物を欲しがって僻むと

壊れたラジオのように責め抜いていた。


ホント宇宙人👽だと思う。


毎日、言われ続けることと、

身に起きていることが

あまりに違い過ぎて、

現実が何か?

長い年月、わからなくて、


父が言うように

私の何でもいいようにして貰っていて、

なんでも欲しがって僻んでいると

認識できないことを

脳に障害があると疑い続けてた。


わからなかった。

本当に、何がなんだか、

何十年に渡ってわからなかった。


きっと殺される恐怖で

わからなくなってしまったんだと

今は思う。


だから私は、

私が誰か知っている人がいる

という体験すらしたことがなかった。


数年前、

私が何かを言った時、

そうだね。貴方はそう思うよね。

と言われるのを聞いて、


はじめてこの人は私を知っているから、

私が思うことがわかるのだ。

と気づいたし、

凄く気持ちよくて嬉しかった。


自分が見えるというのは、

いいものなんだなとはじめて知った。


今やっと書いて気づいた。

私はずっと見えることは恐怖だった。

見えたら、

殴られるか?責め抜かれることしか

知らなかったから、


見えることが嬉しいと

思うようになってから

何で?

ってずっと不思議だった。


違いがわかっていなかった。


両親や姉は、

私をチラと見て

自分たちが思い込んでいることを言って

ずっと責めていただけで、

それは私だったことはないけど、


見えて嬉しいのは、

私が思う私と相手が思う私は

イコールだからだ。

そんなことすら

ハッキリ違いがわかってなかった💦


認めてくれたり、

褒めてくれあり

心配してくれる言葉を

言われていても、

本当にそんなことを

思って言っているなんて

全く思わなかったし、

全く受け取れなかった。


今でもこういうことを書くと思い出す。


ガリガリだった頃、

市役所に行ったら、

市役所のお姉さんが

わざわざカウンターから出て、

私の隣にやってきて、

星のさんと苗字を読んで、

困っていることはない?

ご飯をちゃんと食べいる?

と私の顔を覗き込んでいった。


その頃の私はガリガリだった。

その当時、危険な体重だったことを

15年以上を経て去年、知った。


何故、お姉さんが

そんなことを聞くのか?

全くわからなかったし、

困っていること?

が何か?わからなかった。


これまた10数年経て、

『その後の不自由』

という本を読んで

自分がなぜ困っていることが何か?

わからなかったかを知った。


困っていることが当たり前で育った、

そして放置されていたのだから、

困っていて助けて貰ったり、

教えて貰って困っていない状態になる

を知らない私に知る由など

なかったんだと。


誰かが何かを私宛に物をくれても、

どうしてそんなことをしてくれるか?

ホントのところ

私はずっと意味がわからなかった。


トラウマ治療にいくと、

受け付けにお菓子が置いてあって


そこにあるのは食べていいのよ。

と先生に、教えて貰ったけど、

皆んなが食べていいものが

自分が食べていいとは全く思えず、

手を伸ばすことすらできなかった。


何年か通って、

自分も食べていい

と思えるようになってから


わざわざ受け付けの人に

これ頂きます。

と言ってから、貰った。


わざわざ言う理由は、

言えば、どうぞ💕

と言って貰えるから。


どうぞ💕が受け取れることが

それを感じられることが

堪らなく嬉しかった。

宝物を得た気持ちだった。


書き出したらキリがないほど

沢山あるんだけど、

こういういい体験がいい体験として

自分が中に少しずつ溜まってくると、


自分の中で、

親がしてきた虐待と、

トラウマの先生や前のCOが

言ってくれたりしてくれたこと、

他の場所でしたいい体験を

比べられるようになってきた。


そうなればなるほど、

自分の受けた虐待が

如何に酷いものだったか‼️

少しずつわかっていった。


去年の暮れ、

毎日、毎日、私は心をただ、

殺されていたんだということが

わかった。


そして、

1ヶ月くらい前、

心を殺し抜く生き方だけが

私の生き方だった。

だから

私はフラッシュバックが起きた日から

ずっと

自分を生きようと、

幸せになろうとすると

殺される恐怖が湧き上がったり、

死ななきゃいけないという

狂ったような希死念慮に

襲われてきたんだということ


これほどの酷い情動ではなくなっても

今も

変わっていく、

心が回復してきた

心が生きてしまうと感じると、

死を強く思うことを繰り返し、

私にとって生きることは


濁りなき『死』でしかないんだと悟った。


ずっと回復する過程で、

繰り返し、

回復してきたと感じたり、

生きようとする度に

死を強く思った。

私が完全に消えてなくなってしまうと…

そう感じてきた理由がよくわかった。


感じるべくして感じていたんだと。


そう思ったら、

少しだけ意識が変わった。


今までずっと、

治らなければ死ねばいいと思ってきた。

私にとって、

私の生命など取るにも

足りないものだったから。


だけど、

何故か不思議と

もう誰が何を思おうがどうでもいいし、

何にももうできるように

ならなくていいから

こんな私に

ただ生きているだけでいいと

思ってあげていいんじゃないか?

生きている喜びを

与えてあげていいんじゃないか?

そんな気持ちになってきた。


そして、

極最近、

ブロ友さんと

コメントのやり取りをしていたら、

いきなり未知の扉が、沢山開いた。


そのブロ友さんが

私はこうだろうとわかっていたことを

知った時、

この方ならわかってて当たり前だと

普通に思った。


後から

私のことをわかっている人がいると

はじめて気づいた時、

奇跡が起きたみたいだったのに、


凄く柔らかく

当たり前な感覚になっていること

に気づいた。


褒めたり、認めたり、

労ったりする言葉が

ハッキリ自分宛にきていると

認識して、

しっかり受け取って喜んでいる

自分に気づいて、


私宛だとわかるし、

特別待遇すら意味を理解して

受け取っているし、

入り浸っていい

という言葉の意味すらわかった。


私は頬がピクリとするようなことで

殺される危険がある家で育った。


居場所なんかなかったし、

居ていいなんて思ったことがないし、

生きていていい生き物だとすら

知らなかったし、

自分が人間だということすら

知らなかった。


それが、入り浸っていいだよ。


この世に存在しているだけで、

おこがましいと思ってきたのに、

くつろぐすら❓だったのに、

くつろぐを超えて、居り浸る。

もうダラ〜っと根っこ

生えてる感じじゃない。


それがいいと私に宛にきてる。

ワァオポーン


私宛ってわかる。

意味わかる。

受け取れる。

凄っとひたすら思った。

できるか?っていうと…

モジモジするだけだと思うけどね 笑


そしたら、色々なことが

繋がってわかってきた。


相手が私を知っているとわかったら、

逆に知らないこともあることが

わかった。


そしたら、

誰かのことがわかっていること、

誰かに私のことをわかって

貰っていることも嬉しいけど、


誰かに自分を知られていくことも、

逆に相手を知っていくことも、

楽しいし、

意外性のある、

とっときのことは黙っていよう

とかまで考えにいたったら、

何これめちゃくちゃ楽しい✨✨


普通の人めちゃくちゃいいことして

生きてきたんだなと思ったし、


昔、恋人と付き合ったら、

相手を知っていく時間が楽しい

って意味がやっとわかった。

何を言っているか?

サッパリだったのに 笑笑


普通になりたいって、

虐待を受けずに普通に育った人に言うと、

普通じゃなくていい

って言われてきたけど、

全く意味がわからなくて

混乱してきたって

ずっと書いていたけど、


普通の人の言う

普通じゃなくていい

の意味はわかるようになってた。


皆んな違って皆んないい。

SMAPの世界で一つだけの花

みたいなことだって。


でも心はよくわかってなかった。

それがわかった。


私が、ブログで交流するブロ友さんは

被虐の方や毒親育ちの方が多い。


だけど、

私にとって全員違う存在。

自分を生き始めた

喜びと葛藤を共有してる方。


なんかわかんないけど、

ブログ読んだら、

お互いに大好きになっちゃった方。


ブロ友でママ友だと思う方。


自分がACだとすら思えなかった

思いを共有できる方。


私の母は異常だから、

母との食事の光景を書いた時は、

わかる人はこの世に居ないと思ったら

同じ記憶があるとコメント下さった方、

私にとって全て特別。

他の誰にも変えられない。

それぞれ皆んな唯一無二。

皆んな違って皆んないい?

皆んな特別。


乖離して自分の感情すら

わからなかった頃、

自分の身体が

ここにあることはわかるけど、

自分が何処にいるか?

はわからなかった。


自分が全くなかったから

誰とも繋がれなかったし、

誰もホントには見えなかった。


その頃の私は、

ただの顔の無い

生きている物体でしかなく、

駒♟️の一つという認識だったし、

他者もそうだった。


誰かにとって特別な存在

というものの意味が全くわからなかった。


どうやったらそんなものを持てるのか?

どうやったらそんなものになれるのか?

ずっと不思議だった。


今、不思議だったものが

私の中にある。


こういうのわかったら、

途端に緊張と恐怖が

出てきたんだけどね 笑笑


ブログ書いていたら落ち着いてきて、

このブログを書いていて、


私は殺されない為に

心を殺し抜いて生きてきた。

それ以外の私は存在しない。


だから、

自分を殺さないで生きることは

真逆過ぎるもの、

恐怖だし、

死でしかないのは最もだし、

ずっと不思議だったこと

の理由もわかった。


随分、私は泣けるようになったけど、

これだけの虐待を受けて、

可哀想だったと

こんなに思えるようになっても、

私は本当には泣けない。

泣き崩れきれない。


ずっとそうなってしまったら、

自分が消えてなくなって

しまう気がしてた。


とてもじゃないけど、泣けない。


何故泣けないか?

何故ホントに泣いてしまったら、

自分が消えてなくなってしまう

と思うのか?

不思議だったけど、わかった。


私は殺されない為に

心を殺し抜いて生きてきた。

それ以外の私は存在しないから。


ここを泣いてしまったら

私が消えてなくなってしまう

と思うのは当然のことだ。

易々と泣けたりしない。

自分が跡形もなく崩れ落ちてしまうから。


いつか水道の蛇口が壊れたみたいに

止まらない涙を流してみたいと思う。


そうなっても、

私が消えないでいられるように、

いいものを自分の中に

沢山貯めていこうと思う。


クローバークローバークローバークローバークローバー


普通に育った人に言われて

辛かった言葉、

一杯あるけど、

ここまで色々なことがわかったからこそ、

これが一番辛い、キツイ。

この言葉は被虐者を追い詰める

と思う言葉がある。


それは虐待を受けて

育ったからといって…という言葉。


…にしたのは、

バージョンが色々あるから。


これ読んでも、

貴方そんな言葉、

本当に言えると問いたい。


言う人は言うけどな。

今はアホだと思える私が居るからいい。


だけど、

その言葉の意味すら

わからず混乱する時間を

私は20年以上生きた。


虐待って人間としても、

子どもとしても扱われず、

親がいてもたった、

1人生き延びるサバイバルだよ。


私の親元でした心理発達。

マイナス2歳。

生まれたときより凹んでるの‼️

そこからまた

回復のサバイバルを生きてきた。


普通なんか全く持っていないのに、

普通の人がうじゃうじゃいる中、

もみくちゃになって回復してきた。


虐待を受けて育って

自分を取り戻すことは

超絶、過酷なことです。


当事者談 笑