高橋先生著
『子は親を救うために「心の病」になる』
より

〜本文抜粋〜
第四章
親とのつながりを持てなかった子の
不思議な訴え

の続き

またかなり割愛してます。

『社会的な存在感』は、
同じものを求めているという
確信から生まれる


大川さんに
解決はあるのだろうか?

この問いに答えるためには、
彼女に欠けているものが
何かを正確に理解しなければならない。

彼女に欠けているもの、
それは自分がこの社会で生きている
という『無条件の存在感』である。

これは、
心理システムの土台になっているもので、
自分が他の人々と
一緒に生きているという
疑いようのない感覚である。


つまり、
同じ世界に生き、
同じものを見ていると確信し、
同じものをいいと感じ、
同じものを嫌と感じ、
いちいち言葉にしなくてもそう思い、
伝わり、利害を共通にしているという
感覚である。

これを『社会的な存在感』
と呼ぶことにする。

彼女には『社会的な存在感』
が欠けている。

あるいは、あっても曖昧である。

『社会的な存在感』は
何によって生み出されているかというと、
それは、
『自分と他者が
同じものを求めて生きている』
という日々の実感からである。

では、それはどこから来るのか。

それは、
『愛情』、『お金』、『賞賛』
に由来する。

人が人生に求めるものは、
四つあると述べた。
人は、
第一レベルでは、
『安心』を、
第二レベルでは、
『愛情』、『お金』、『賞賛』を
求めて生きている。

これらのうち、
第二レベルを共有しているという確信が
『社会的な存在感』を生み出す。

美味しいものを食べて、
『美味しいね』
と確認しあえる関係が
広がってできたものである。


『愛情』とは、

家族の愛情、理解、

異性を求める気持ち、

恋愛、結婚、子育て・・・・・と、

人との繋がりである。


これらを求めている、

求めたい、みんなも欲しがっている

と感じられていることが、

自分が

『同じ社会で、

人とつながっている』

という存在感を生みだす。


『お金』は、

衣食住という物質的な生活を

支えるものである。


みんなこれを欲しがっている、

自分も欲しい、

手に入れたら同じように嬉しさを味わう。

これが『同じ社会で、

一緒に頑張っている』と感じさせる。


『賞賛』を受けたい気持ちは、

親から褒められること、

親から必要とされることを

基本にしてできあがり、


他人に褒めてもらうこと、

人から必要とされること、

勲章をもらうこと・・・・となる。


そうされたい、そうしてあげたい、

自分もみんなもそうだ、

という当たり前にわかっていることが

『同じ社会を、

みんなと一緒に作っている』

という感覚だ。


この三つの欲求の成就と失敗を、

毎日、毎日、

人と一緒に繰り返していることが

『社会的な存在感』となる。


この『社会的な存在感』は

あまりにも当たり前で、

誰にでもあるので、

『普通の』人には、

それが『ない』ということが

想像できない。


例えば、

朝、ベットで目が覚めて、

『ああ、自分はこの社会にいる』

とあらためて思う人は

いないだろう。

『いる』のが当たり前で、

起きた瞬間の私たちの意識は、

『社会的な存在感』がないとは

どういうことかと想像すると、

次のようになる。


スタースタースタースタースター


『社会的な存在感』を

当たり前に持っている普通の人が

『社会的な存在感』がないと

想像しやすい例えが

割と具体的に書いてあるけど、


私は、当たり前に

『社会的な存在感』のない人なので、

そんな感じになるのか‼︎

とは思っても、

ピンとはこないので割愛。


次に、

多分ね、

当たり前に物心ついた頃から

『社会的な存在感』がない人の

日々、日常的に感じてる感覚が

具体的な例で書いてある。


私は、

物心ついた頃から、

『社会的な存在感』がない感覚を

強烈に感じてきた人だけど、


それだけじゃなく、

前の記事に書いある、

第三章で紹介した

虐待を受けた子どもたちとの違いは、

彼らは『悪い親』を持ってしまったが、

その親は安定して

『悪』だったことである。


だから、

子どもは少なくとも

この世界の手がかりとして

『悪』を知ることはできた。

そして、彼らは

『善』もあるだろうと希望を

持つことができた。

彼らもまた『美味しいかい?』

と聞いて貰えなかっただろう。


でも、目の前の親から身を守らなくては

ならないという

圧倒的なリアリティの中で、

彼らは食事の満足を確信し、

人とのつながりを感じていた。


第三章は、

多くの被虐待者が当てはまる

普通の人とは『善』と『悪』が

逆転した心理システム

について書いてあるんだけど、


この感覚も同時に強烈に持っていたから、

生粋に

『社会的な存在感』がない感覚、

言い換えると、

心理システムが無い感覚だけを

日々感じて社会を

生きてもいなかったので、


あの恐怖がないと

こういう感じだろうなと思うけど、

やっぱり自分の感覚として

しっくりくるか?

っていうと

当たり前だけど、

『こない』ので、割愛しちゃいました。


わざわざ割愛理由を書いたのは、


『社会的な存在感』がない方の

具体的な日常の感覚を書く前に、

『社会的な存在感』がある人が

『もしなかったら?』の具体的な例を

書くところが、

人間理解の深い高橋先生らしいな、

一旦、自分の感覚からわかりやすい例を

上げて感覚的に慣らさないと

ピンとも寸ともこないって

わかっているから

だろうなと思って

凄いなぁと思ったから 笑笑


スタースタースタースタースター


〜本文抜粋に戻ります〜


以上述べたような存在感の希薄さが

物心ついた時から

続いていると、

心理システムは完成されず、

社会とのつながりや一体感に欠け、

『普通』でなくなり、孤立する。


自分は、一生、

周りの社会からは理解されない。

自分だけは特殊な人間だ

という感覚が抜けない。


何をするにも、

他人と共感する土台がない。

若い頃を振り返っても、

同じ時代に生き、

同じアイドルを知っていた、

というような懐かしさの感覚を

共有することが、できない。