昨日、急に書こうと思いたって
書き出したら止まらなくて、
一気に3つ書ききったら、

怒ってたんだな私って気づいた。


ちょっとスッキリして、

未だに怒りを抑圧するんだとも思った。


ずっと

こんなこと如きでいつまでも

って思考だったけど、

虐待の影響って強烈なんだ。

そして、

それが当たり前なんだと思うようになった。


いつ殺されるかわからない

子ども時代を

恐怖に支配されて生きた。


自分を殺し恐怖に支配されたから、

私は生き延びた。


殺されるかもしれない瞬間、瞬間を

私を生かした生き方なのだ。

頑張ったから、

その分強いんだと思う。


私の生き方、

それは私の一部なんだけど、

なんだか敬意を感じる。


あれほど

切り捨てたくて仕方なかったのに…


クローバークローバークローバークローバークローバー


いつも読んでるブログに

似たようなことが書いてあるのを

読んでやっとリプログするんじゃなくて

虐待支援について

自分の言葉で書こうと思った。


他者にいい意味で触発されたり、

心を守られたり、

癒されたりしている自分を

最近凄く感じる。


前は全くないことだった。

何も感じなかったから。


そして私のキーワードは

とにかく愛着なんだと思う。


全く大袈裟でもなんでもなく、

愛着がない世界、

その中を生きる苦しみが私の全てだった。

私にはそれしかなかった。


虐待支援に関して、

腹が立つのも

愛着の視点が

全く見えていない支援だと感じるから。


それって要するに

何も分からずやっていることと

同じだと思うからだし、


ブロ友さんとコメント欄で交流すると

やたらと癒されるのも、

愛着がない中を生きた感覚を

共有できるからだし、


この間、

COと話してて

めちゃくちゃ楽しくて癒されたんだけど、

なんでかって言うと、

愛着のある、ない話しが

ツーカーで通じて

一杯話せたからなんだよね。


ここが一杯通じると

私は息が一杯吸えるんだと思った。


クローバークローバークローバークローバークローバー


分かり合えるという感覚など

得ようもない環境で私は育ったから、

長い年月、

わかり合えた

という感覚を持ったことすらなかった。


だから、

普通の人同士が分かり合えてる、

通じあっているようにみえる姿が

不思議だった。


回復してきて、

通じてわかり合う会話が

できるようになって、

しきりと思ったのも、

今思えば、

やっぱり愛着だった。


愛着をして育った人も、

家庭それぞれ色々あって違う。

だけど、

『愛着がある』って部分で

共有できる感覚があるから、

違いを理解した上で

会話が成立して、

共感できるんだなって。


例えば親の話をしていても、

愛着がある親子の場合、

親は子が可愛いから

怒ったり、喜んだり、悲しんだりする。


でも、私は、

『親が子が可愛い』

という感覚を知らない、

全く持っていない。


そんなもの育った家には

カケラもなかったのだから当然だよね。


だから、

親は子が可愛いから

怒ったり、喜んだり、

という脈略が見えない、理解できない。


感情全てが

バラバラの事象にしか見えないから、

その場、その場で

違って見えて繋がらない。


だから

会話が全く理解できなかったんだと思う。


それに、

私は乖離が酷かった。

乖離していると自分の感覚を

全く感じ取れない。


自分の感覚、感情が全く

キャッチできないのだから、

自分とすら繋がれない。

他者との繋がりようなど

何処にもない。


高橋先生の『消えたい』を読んでから、

心がちょっと変わったと思う度に

読み返してた。


2年位した頃、

事例に沢山登場する異邦人の言葉が

急に胸に染み込んできた。


気持ちが手に取るようにわかる。

異邦人が語る

子ども時代の様子一つ一つに、

〇〇だったよね。

こういう時ってこんな気持ちしたよね。

って言葉が浮かんできた。


この事例の異邦人たちとは

まるで、長年連れ添った

阿吽の呼吸の夫婦のように

もうそれ以上、

何も話さなくても分かり合える。

そう思えた。


不思議な感覚だった。


まるで絶滅した種族に

人生で初めて巡り会ったみたいだった。


でもその時思った。


乖離が解けてきたから

今やっとそう感じられるんだと。


被虐者は、人生の最初、

母親と愛着で繋がれない。


気持ちが通じ合う感覚を知らず、

周りに家族という名の人たちが

例えいても、

心は、孤立無縁で、孤独に育つ。


分かり合えるものを持った人と

例え話しても、

それとは気づくことすらできないまま

生きてきた自分を

その時やっとちょっと知ったんだと思う。


被虐者は

なんて過酷なんだろうと思ったのを

覚えている。


去年やっとブログを書けるようになって、

ブロ友さんとコメント欄や

時々メッセージで話ができるようになって

ただ、ただ、

嬉しくて楽しかった。


それに、

自分の親を毒親だと思ったこともないし、

自分をアダルトチルドレンとも思えない。

ってハッキリ書いてたのに、

誰も怒らないで、

仲良くしてくれて

有り難くて不思議だったんだと思う 笑笑


段々と

『愛着がない』が共有できるから、

お互い違いがあっても

気持ちが理解できるんだな

と思うようになった。


愛着がある中育った人は、

愛着がある土台を軸に他者と繋がれる。


愛着がない育ちをした私は、

その『ない』を共有できると

繋がりを感じられるんだな、

私は人と繋がれる人間だったな、

本当は繋がれるから、

繋がれないことが辛くて

寂しかったんたなとも思った。


最近は、

愛着のある普通の育ちをした人の言葉も

理解できる。

気持ちがわかる。


だけど、

そうなって余計、

愛着がない感覚が

共有できる価値が

私にとって

如何に高いかに凄く気づいた。


私は普通よりも

愛着障害が酷かったからだとも思うし、


今はまだ、

回復しきれていないのもあると思うから、

これからどうなっていくか?

わからないけど、


なんとなく

生きている限り

ずっと

愛着がないを共有できることを

大事にして生きていく気がする。

どんな形であっても…


そこが私のだから。


人の子に育てなかったけど、

親が宇宙人と人でなしじゃ無理だもの。


だけど私は

凄く人の子だったと思うわ。


なんだかんだ

未だ、

凄い葛藤、綱引き大前線なんだけどね。


もし抜けたら、

3度目のカウンセリングの

看板あげようと思うの。


愛着がないを私はよく知っているから。

他の奴らなんかに、

任せてなるものかと思うから。


次あげるときは、もう下さない時。

そう決めた。


愛着大事💕💕


スタースタースター


どうしよう、書き出したら

また書きたいことが

湧き出して止まらなくなってきた 笑笑