先日、

カウンセリングを受け初めてから

書いてきたノートを

箱📦に入れてしまいました。


その時、

写真を撮ったことを

すっかり忘れてました。


いきなり大量のフラッシュバックに

襲われて、

頭の中を流れる大量の出来事を

一つとして、

私にその時、何が起きたか‼︎を

知っている人が、

この世の何処にも居ないことを知りました。


無念だった。

無念などという言葉では、

到底、

表現できないほど、

無念で、無念でならなかった。


父の見立てのことも書いたし、

もう起きたことや、

親のことを理解するために

ブログを書くことはいいなと思ったので、

ブログを書くこと、ブロ友さんとの交流は

これからも、細々と続けていくと思います。


書き綴ってきたノートのことを

ひと段落した記念に、

ブログに記録しておこうと思います。



フラッシュバックが起きた当初は、

頭の中を流れる起きた出来事に

自分が感じできたことと

親が言っていることに

大きな乖離があり過ぎて

訳がわからず、

起きた出来事を

沢山、書き綴った記憶があります。


ろくな会話もしたことがなく、

話し方すら知らなかった。


自分の気持ちを捉えることも

出来なかったし、

それを言語にすることはとても難しく、

感情を感じることに

殺される恐怖があったので、

気持ちを書く語尾は、書けなかった。


そして書いても、

起きた出来事に親と違うことを思うことは

逆らいなので、

それが家にあることが、

恐怖過ぎて

書いても、破って捨ててました。


だからその頃、

『起きた出来事を書いたもの』は、

私の手元には残っていませんが、

多分、もうこの世の何処にもないと思う。


フラッシュバックが起きてから

過ごした10年は、

私にとって壮絶で、

その最後の方に書いていたものだけ

残っています。


その頃は、

ノートにすら

書くことが出来なかったので、

スケッチブックや便箋、A4の用紙、

ノート以外の色々なものが入っています。


あまりにも痛々しいので、

茶色の袋に入れて、

茶色の箱にしまい、

何年か前に封印しました。


カウンセリングを受けるようになって、

私は大切なものを

『心に持つ』ということができました。


それまで大事なもの

というものを持ったことが

なかった私にとって、

あまりにそれは眩し過ぎて、

直に心で受け止めたら、

心が火傷しそうだったので、

イメージでそれを茶色の袋にしまいました。


その時、

なぜ茶色の紙袋なんだろう?

と思いました。


こたつの上に置かれた

茶色の紙袋が頭に浮かびました。

小学生の頃、

胸が大きくなり始めた姉が母と一緒に買い物に行って

買ってもらった下着が入った袋が茶色の紙袋でした。


私にとって、

絶対に手に入ることのない宝が入った袋が

茶色の紙袋だったんだと気づきました。


とても痛い物だから、

せめて

私にとって、いいものを入れる袋に

入れてあげようと思って、

茶色の袋をわざわざ買ってきてしまいました。


中身を到底、

出す気にはなれないので、

袋のまま、写真撮影しました。




カウンセリングをはじめた頃は、

恐怖が強くて、

自分の思いをただ書くという書き方すら

まだ出来なくて、

便箋にトラウマの先生に

宛てた手紙を書くように

トラウマ治療で起きた変化を書いたり、


克服しなきゃと強く思っていたので、

思い込んでいることを書いて暴いたり、

読んだ本の中にある、

恐怖でどうしてもそうだと思えない言葉を

書き写したりしてた。


その後、書き綴っていたノートとは、

私にとっては

全く別の物なのでわけて写真を撮った。


これも私にとっては、

痛々し過ぎる物なので、

茶色の袋に入れていたけど、

こっちは中身を出して

写真撮影だけはしました。



記憶にある幼少の頃から、

幼稚園で過ごした頃も、

私は言われたままにやる以外に

何もしたことがない。


自分の意思で思うまま、

遊んだことどころか、

ただ動くということさえ、

思うまましたことがないことに

凄い無念がでた時、

幼稚園児のやり直しみたいなことをしました。


スケッチブックの隣にあるのは、

塗り絵なんだけど、

開くと『遊ぶ前のちゅうい』が

大きなひらがなで書いてあって、

それをマジックで消して、

上からデカデカと、

うるさい💢

好きなように

やるの‼︎

って書いてありました 爆



随分、気持ちが書けるようになってから、

自己理解の為に書いていたノート。


コレ以外のものは、

随分前に、

茶色の箱にしまっていたけど、

コレはずっと出しっぱなしだった。



もう見えるとこに出しているのは

辞めようとしまいました。


今は、まだ捨てれそうにないけど、

いつか捨てようと思います。


右側にあるのは手帳の束。

幼い頃、

心をバラバラに切り刻んで捨ててきたので、

トラウマ治療を始めると、

私の心は、何回かにわけて、

生まれてきました。

だから、

私の心が生まれた誕生日🎂は

一杯あります。

いつなのか?覚えていないけど…。


先生に生まれたわね。

と言われた日を、

書いていた記憶はある。


痛いから、

もう見返す気は無いけど、

これはずっと捨てれない気がする。


カウンセリングを始めた頃、

自分が傷ついていることどころか、

『痛みというもの自体』

を全く知らなかった。


前のCOとは、

そんなことをしたら痛いじゃない。

痛いってなんだ💢

という押し問答を一杯しました。


COが何を言っているのか?

その頃の私には、

さっぱりわかりませんでした。


この世に痛いことなど、

存在しないと思っていたので。


そんなことをしたら痛いじゃない。

などという、

くだらないことを

あんまりにもひつこくCOが言うので、


ある時、

我慢が、ブチっときれて、

私の魂には、

刺し抜かれたような傷が、無数にある。

親だからあれほどの傷がつけられただけだ。


人に何かを言われて、

私が恐れるのは、

その時の記憶が頭の中を駆け巡るからだ。


親にあれほどのことをされてきた

この私を

傷つけられる人間が

あんたは

本当に

この世に

居るとでも

思うのか💢

って叫んだことがある 爆

痛々しいね。

この時の自己認識、COに酷いことを言う極道だった。


結局、居たわ 笑笑


でも私が、

他者から与えられると知った痛みは

愛しき痛みだった。


酷いことを言われて

傷つけられるってことは

やっぱり無かった。


痛みを否認しているわけじゃなくて、

レジリエンスができたからだと思う。


愛を教えられた痛みは痛かったし、

愛を失うかもしれないと思った時に

痛みを感じて

こんな痛みがあるのかと知った。


その時、

親ではない他者に

痛みを与えられることもあると知った。


ずっと自分の痛みに気づくこともなく、

自分は弱いと責めて、

トラウマを克服しなきゃいけないと

思ってきたから、


1番辛かった頃に書いていたものを

手にとって、

開いただけで震えるのに、

読めて平気にならないといけないと思って、

読み返したりしてた頃もあるけど、

もう見返すつもりは全くない。


親が私にそうしたと全く同じように、

私は私を

頭の先から、

爪の先まで、

なんの手加減も一切与えず、

コテンパンに責め抜き続け、

何の権利も与えず虐げ抜いて生きてきた。


育った家を思うと、

『ゴミ、生贄、サウンドバック』

ってでてきた。


カウンセリングを受けるうちに、

それが私の役割だったと知った。


ある時、

心の習慣の可視化をノートにしていたら、

親と全く同じように

私が私自身を

『ゴミ、生贄、サウンドバック』

として扱っていたことに

いきなり気づいて、

たけるように泣いた。


自分をまるで亡き者の様に、

扱っていたことに気づいた時は、

言葉もなく、

固まって、ただ、ただ、呆然とした。


自分を虐めに虐め抜いた。

それしか、知らなかった。


自分のことを

生きていてはいけない生き物

としか思ってすらもいなかった。


こんなに可愛い私に、

私は何をしていたんだろう?

本当に、申し訳ないことをしてきた。

私は、全く悪くないけど 笑

今更、思う。


もう来世以上分、

自分虐め、

やり尽くしたので、


自分虐め、

キッパリ

卒業

致します🎊



これからは、

めい一杯、

可愛がって

やるんだ✨


クローバークローバークローバークローバークローバー


日常生活を整えたら、

またブログ、時々、書きます。


先日の高橋先生の勉強会が

もの凄く良かった。


愛着のある言葉に、

終始キュ〜ン💘だった。


普通の育ちを全く知らなかった私にとって、

それを理解していくことは、

驚愕と呆然の繰り返しだったけど、


人間の生まれてからの

社外的心理発達段階、

成人期の心を学ぶことは、

人間も、この世も、

本当はとってもいいもの、

いいところと思えるし、


異邦人の回復を学ぶことは、

回復の仕方が凄く人間らしくて、

愛を感じるので、

今は、何よりの癒しのようです。


勉強会で話を聞いていると

人間も、人間の営みも

愛しい😍

キュ〜ンとします。


長〜い年月、

心が恐ろしい世界を生きてきたので、

理解してきたことを

自分の為に整理していくことが、

何よりの癒し、お薬になりそうです。


この世が

本当は、

愛情豊かな場所で、

もう安全で、

安心して生きていっていいんだと

もっと深く思えるようになる為に、


今度は、回復❤️‍🩹じゃなくて、

自分に還っていくリハビリの為に、

ブログを時々、

書いていこうと思います。


そして

いつか元気に生きている私に、

出逢おうと思います。


いつも読んで

下さってありがとうございます照れ


最後に、

私がカウンセリングを始めてから、

順次、愛着していった

ぬいぐるみたちを紹介✨✨



大きいぬいぐるみから順に、

くまごろうさん、くうちゃん、めいちゃん。


私は、母親になってから

娘と一緒に

色々なものに、

名前をつけてきたけど、

ずっと

私如きが名前をつけて…

って思いを持ってた。

ありとあらゆることをする権利はないと思ってた。


先生たちに、

名前は何?と聞いて

名前を言ってぬいぐるみと

一緒に

トラウマのセラピーを受けているうちに

その思いは消えていった。


愛着することに殺される恐怖が

半端なく強かったから、


くうちゃんに変わった時は、

大きなバックに入れて

カウンセリングに持っていき、

COの前でわざわざ、

抱いて見せて

COが私を殺さないか?

父のようなことをしないか?

確認しました。


『その子は、お友達みたいね。』

と言って貰った。


『くうちゃんに愛着していた頃は、

私は、まるで赤ちゃんみたいだったけど、

メイちゃんを見たとき、

ヨチヨチ歩きをしているような

私より小さい女の子にみえて、

可愛く思った。

その時、

私は、お姉ちゃんになったと思った。

言いたいこと、わかる?』

ってトラウマの先生に言った時は、

『あの頃は、まるで

むしゃぶりついているようだったものね。』

と言われた。


こんな会話が一切、

通じない世界を育ったから、

私はいつも

自分の言っている意味が通じるか?

不安と恐怖で一杯だった。


トラウマの先生は

『私がシェリーメイを

大事に思っていることを知っていて、

私からそれを奪うようなことを

する人じゃない。』

と心でちゃんとわかった時、

頭は理解していたけど、心は恐怖で一杯だった。

嬉しかったと言ったら、


子どもにも

譲れない大切なものが

あることを

殆どの人は知っている。

と言われた時は、驚愕しました。


その言葉には、

驚愕するポイントが多すぎて、

大変だった。


今は、普通にそれがわかります。


ずっと満たされていない、

育っていない自分を恥じていた。


今は、可愛かったし、

とっても、可愛いそうだったと思う。


愛着欲求と殺される恐怖で、

ぬいぐるみを巡る色々があって

長くなるから割愛するけど、

気持ち悪さに、

昔は持っていられず、

ぬいぐるみを捨てていた。


なかでも、凄く覚えていることがある。

子どもの頃、

親に内緒で、姉と一緒に、

ぬいぐるみを買ったことがある。


ある時、

母にこれは捨てていいか?

と聞かれ、

何も考えず、『いい』といった。


順次、ぬいぐるみに愛着し、

乖離が解けていくどころかで、

そのぬいぐるみのことを思い出した。


幼い頃からぬいぐるみは、

家に無かったし、

人形遊びもしたことがなく、


ぬいぐるみを抱いたり、

人形遊びをすることに

殺されるような恐怖があったから


私はその買ったぬいぐるみを

抱くどころか

触ることすら出来なかったし、


どんなに思い出そうとしても、

何のぬいぐるみだったか?

全く思い出せない。


ただ、とっても可愛かったことだけは

覚えている。


でももう、

このぬいぐるみたちを捨てることは

生涯ないと思う。


子どもの頃には、

なれなかったけど、

何が大事かを

知ってる子どもに私はなったから。


これからは、

何が大事か知ってる

ちゃんとした大人、

年相応のおばさんになって

いこうと思います♫