「私にとって大切なものを、私が大切にしなくて誰がするの?」

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学生時代、大好きな先生たちの講習会が楽しみだった。

使用する道具は事前に調達して、どうやって使うのかな?とか友人たちとわいわい囲んでイメージを膨らませてから臨んでいた。

道具は申込時に購入できて、申し込まなかった人も当日貸し出ししてもらえる。

その日たまたまペアになった方は持参も購入もしていなくて、貸し出しの行列に並ぶより私の使っちゃっていいよ、と渡したの。

で、片付けの時にその方が道具を自分のカバンにしまうのが見えて、平常心を装いつつ「あれ、道具ってどこ行きました?」ときいたら「貸出しの箱に返しましたよ」と返事が来た。
血の気が引くのを感じながら「あーすみません、あれ私のなんですよね!」と言ったら返してくれた。

正直、すごい疲れてしまった。
情けないけど、その後講習会に行くのが嫌になるくらい疲れた。実際残った数回は欠席してしまった。

はっきり最初から自分のを貸してあげますねって言えばよかったんだよ、私が悪いの。とか

そんなに気にすることじゃない、それより講習会に行きたいでしょ?とか

自分を律しようとすればするほど疲れ果ててなにもかも嫌になってしまった。

私は本当は
同じ気持ちで本気で学ぶ・楽しむメンバーと学びたかったしみんなそうだと勝手に信じてた。
大好きな先生たちがすみずみまで配慮して提供してくださってる学びの場が穢された気がしてすごく嫌だった。

だけどその気持ちが尊重されるべきもの、当然だよ!とは思えなくて

当時の私は、自分って極端だし、精神的に潔癖すぎる、扱いにくい、って否定的に感じていた。




「頑固な自分を変えよう」
「いつでも笑っていられる周りに馴染める人になろう」

というのが私の今までのテーマだったけれども

他者の人格を否定してはいけないように、自分の人格も否定してはいけないのではないか?

自分を受け入れるとか、ジャッジしないことが大切なら
自分自身に対する言葉掛けも、他者にするような配慮と優しさがあっていいのでは?

私にとって大切なものを、私が大切にしなくて誰がするの?

自分自身をあたたかく扱うと
生命力の漏電が減って
やりたいことやすべきことに力を使えるようになる。

他者へ手を差し伸べることばかりに一生懸命になりすぎないのも大切。