私はこの間、サークルの友人に叱られました。

私の行動が原因であることにそのとき既に反省していましたし、反論する気もありませんでした。

そんな私を心配してくれた仲間が数人メールをくれました。

『大丈夫?』

『アイツは感情的になりすぎだよ』

『そんなに怒る事でもないと思うけど』

といった内容のメールに心が和みました。

『ありがとう』

『悪いのは私だし、みんなにも迷惑かけてごめん』

という内容のメールを私は返しました。

それでも仲間たちは私を擁護するようなメールを送ってくれましたが、最後の一文に

『確かに○○(私)に原因があるけど』

というような文が書かれていてひどく動揺しました。

その言葉に間違いはありませんし、自分でも自覚していた筈なのにその言葉一つで気持ちを大きく乱されました。

そのときも今も自分の感情が怒りなのか悲しみなのか、形容することができずよくわかりません。

とにかく最後の一文で一気に心が不安定になったのです。

しかし今、冷静になって平常な心でメールを見返すと、それはなんてことのない文で締めくくられていました。

私を非難しているようには決して受け取れません。

どのメールも何度見返しても私を心配する内容で、彼らは最後まで私を責めるような文句は書いていませんでした。

あのときなぜそう思ったのか、不思議に思えてなりません。

こうした勘違いからメールのすれ違いが生まれるのかな、なんて思ったら少し怖くなりました。




今日、目の前を通ったサラリーマンの鞄の口が偶々開いていました。

月刊或いは週刊の分厚い漫画雑誌が一冊入っているだけで、とても驚きました。

勿論、個人差はあるのだとは思いますが、書類や専門書などが入っているのだと思っていただけに、彼の鞄を見てなんだか拍子抜けしてしまいました。

でも、サラリーマンの鞄に漫画がどん、と一冊あるなんてなんだか夢がありますね。

見た目は大人でも心は少年ということなのでしょうか。

そうして考えてみればおじさんたちの鞄になにが入っているのか、不思議に思います。

もしかしたら漫画のようにミッキーの大きなぬいぐるみが入っているのかもしれない。

鞄の中のファイルに入っているのは難しい言葉の書かれた文書ではなく、ミッキーやキティちゃんのような有名キャラクターのポスターなのかもしれない。

今日はバレンタインですから、彼とはまた一つ違って鞄の中には山ほどのお菓子しか入っていない、なんて人もいるのかもしれませんね。

そう考えていると、なんだかサラリーマンという存在がメルヘンチックに思えてきました。

今日は、電車の中でとても楽しい気分を味わえた一日でした。




お待たせして、すみません。

先日、試験が終わったのですが、喜ぶどころかどこか物悲しい気分です。

試験が終わってからその原因を暫く考えてみたのですが、『人生における軸がない』ということに気がつきました。

去年、今の大学に現役合格することを目標に受験勉強をしたように、高校時代はなにか目標を設定しそこに向かって努力をしました。

そのときは自分のやりたい事とやるべき事、換言すれば大学に合格する事と受験勉強が同等にありました。

しかし、今、自分のやるべきことは疎か自分のやりたいことさえもよくわからないのです。

サークルもバイトも学校もとても楽しめたのですが、この一年間が充実していたわけではないように思います。

そこで私は目標を立てる事にしました。

思えばこの1年、流されるままにただ大学生活を楽しんでいただけでした。

サークルもバイトも学校も私の中心ではなく、すべてにおいて中途半端だったのかもしれません。

将来の目標もはっきりと決めていない今、残り約三年間の大学生活における目標をきめることは出来ませんが、今年だけの目標ならば決める事は出来るでしょう。

以前の記事にも書きましたが、私には関心のある職業があります。

そこに関連する資格をとることを目標にしたいと思います。

とても難しい資格ではあるけれど、その目標に到達出来たとき私は新たな目標を見いだせると期待しています。

そうして机に座って、私の今の軸は『勉強』であるのかなあと思いました。