アインシュタインが「神はサイコロ遊びをしない」と言ったとか。この世に偶然はないという事か。

神の御業を信じるとすれば、やはり神はサイコロ遊びをするとしか思えない。


「ファイブイージーピーセズ」には、えくぼ(ディンプル)のできる子は、生まれる前に神がかわいいかわいいとほっぺを押したから出来たので、チンクレフトはお前はきらいだ、あっち行けーとあごを押したので出来たというセリフがあった。


すべてを兼ね備えたような人々を見るにつけ、神はえこひいきだと思う事がある。


えーっと、顔、体がきれいな女性一丁あがり。ついでだからIQも高くしよう、少しは欠点もまぶさないといけないから性格は少し悪くしよう、運動能力もなし、と。これで良し。


などとサイコロを振りながら決めているのではないかと思ったりする。

かつて中学生達に英語を教えていた時に、子供達の特性を見ていると、彼らは頭の良さで世の中を渡って行くか、性格の良さ、または容貌の良さか、これら3つのいずれかに頼って生きて行くのではないかと思うようになった。



私は冗談めかして、「皆さん、将来、顔がいいか頭がいいか性格がいいか、そのどれかで身を立てられるようにしてください」と言っていた。


すると生徒いわく、


「先生はどれですかー?」と聞くので

「先生の場合はね、全部よ!」

と答えると

「えーっ!?」

というリアクション。全く失礼な生徒達だった。

中に、容貌もパッとせず成績も最低に近い生徒がいて、これでは授業に付いて行けないと思った私は、授業の後に補修をしていたのだが、外で会った時に私を


「クソババア」と呼んだのだ。

翌日名前は出さずに「クソババアなどと言うのは良くない」とクラスで注意したが、やはり彼は謝りにも来なかった。

その代わり、夏休みの補講の後に書かせるレポートに、「英語の先生がチョーーーーーいやだった」と

書かれていた。

それはこっちのセリフです。

彼は性格も良くなかったと言わざるを得ない。3拍子揃った、という言葉の反対で、3拍子欠けている生徒だった。


人間誰にでも長所があるのだから彼にもきっと何かいいところがあったに違いない。彼はどんな職業に就いたのだろうと最近妙に気になる。