レオン・ザルツマンという精神科医によると女性が男性との依存的関係でバランスを保って生きて行くには色々な方法があると言う。その一つは自分の夫が非常に優秀だと思いこむか、自分の評価を下げる事である。「私などとても・・」と卑下して、眠っている野心や才能や興味が目を覚まさぬよう上手に抑えこむ、これは囚人、奴隷、少数民族らの持っている「否定の方式」と同じだという。彼らが侮蔑を甘んじて受け入れるのはそれと引き換えに現状での最大の安全と利益を保証して貰えるから。


自力ではどうしようもない状況に置かれると動物は諦めはじめる。人間も同じで、「習得した無力感」と呼ばれる。挑戦的態度を出さず、人と対決せず、文句を言わず、お利口にしていれば安泰、そんな人、たくさんいそうな気がする。

また、ジュディス・バードウィックは「女性心理学」の中で自立心は自分の判断で分の能力を頼りに自力でやり遂げた学習の結果として生れる、と言っているが、人妻で「あたし、自立して生きていきたいの」と言っておきながら夫が扶養手当を貰える限度額しか稼がず、結局は夫に扶養されて生きていた女性がいた。彼女、自立の意味を知ってたんだろうか?

私は自分でビジネスをやっていた事があり、何でも自分で決定し、自分で責任を持たざるを得ない状況になって始めて自立というものを実感した。会社勤めや結婚生活の中ではなかなか感じられない感覚である。

実りある結婚生活の鍵は、矛盾するようだが基本的に一人でいる事に耐えうるかどうかという事ではないか。人に頼らず自身の人生観や価値観を持てるかどうか。多くの結婚が破綻するのは、この個体分離がないゆえであるとエライ先生方も言っている。結婚はもたれあいではない、協力のしあいなのだ。

「放浪記」の林芙美子が「男に食わせてもらうほど惨めな事はない」と書いていた。私も「誰が食わせてやってるんだ」なんてセリフ、一生聞きたくない。家庭に収まって夫にダイヤモンドをねだって買ってもらうような女性こそ「習得した無力感」の中で生きている負け犬ではないか、と独身の私は半分負け惜しみ、半分本音で考えたりするこの頃である。