東京メトロの駅の多機能トイレ内で2021年、会社員男性(当時52歳)がくも膜下出血を発症して死亡したのは、駅側の対処が遅れたことが原因だとして、和歌山市在住の遺族が同社に約1億700万円の損害賠償を求め、和歌山地裁に提訴していたことがわかった。同社は訴訟で「男性の死亡と当社の対応に因果関係はない」と争う姿勢を示している。

 


因果関係はないと言っちゃいますかねぇ・・・。

 

東京メトロのトイレだから管理責任はあるはずなのですが。これは法律的義務はないそうですが、道義的責任ぐらいはあるはずです。つまり命を救うはずの装置を東京メトロは放置していたという事になります。それによって結果的にトイレ利用者の命が奪われてしまった、ではなぜ設置したんでしょうかね。

トイレには、押すと駅事務室に異常を知らせる非常ボタンと、30分以上の在室を検知すれば自動で駅事務室に通報する装置があった。ところが、非常ボタンはブレーカーが切れて電源が入っておらず、通報装置はトイレと駅事務室をつなぐケーブルが敷設されていなかったという。

法律的義務はないのだったら警報装置を設置する義務もないという事なんでしょうけど、管理する気ないのなら設置なんてしなければよかったものを。言ってる事とやってる事が矛盾してるんですよね。「設備を点検する法的義務はなく、賠償責任はない」と東京メトロが主張してますが、設備の管理責任を怠っていたのは明白。だとしたらそこで発生する管理責任は法律的責任ではなくて道義的責任が発生するはずです。

そしてこの道義的責任を追及する裁判は民事裁判として裁かれる事でしょう。

そもそも道義的責任とは

道義的責任とは事故を起こした加害者が、被害者のお見舞や、お詫びの連絡等、社会人としての 良識に基づいた果たすべき責任です。この責任は、法律等で強制されるものではありませんが、人身事故に限らず、加害者が被害者に誠意を尽くすことが円満な解決の必要条件になります。

 

 

 

 

法律的に強制力はなくても、被害を被った原因である対象者に対して誠意をもって対応する事が必要とされるのが道義的責任という事になると思います。自分も法律にはかなり疎いのですが、ただこのケースでの道義的責任を追及されても仕方がない事態だと思いますし、それの可否を問う為の民事裁判であると聞きかじった法律で把握してますので、もう少し法律に詳しい方おられましたら是非ご指摘をお願いします。

民事裁判で争われる道義的責任はひとによってはグレーゾーンの場合もありますが、東京メトロの駅の敷地内でのトイレである以上、管理責任はあるはずです。設置した以上利用者の命を守るはずの装置と分かった上で設置してたのに肝心な時に作動せず放置していたのは明らかな怠慢ですよね。命を守る装置を放置する正当性なんてどこにあるのでしょうか。警報装置の点検ぐらい、わざわざ手抜きする理由ってどこにあるかさっぱり分からないのですが。

 

ただ賠償金が一億円請求ってのは少し高いかもしれないという賛否両論はあるでしょうね。そこまでの賠償金になったのは自分の憶測ではありますが、さぞかし事故の直後に遺族は示談しようとしたけど東京メトロの余りにも誠意のない対象に憤りを感じてこの賠償額になった、という事も考えられるかもしれません。

 

しかし東京メトロに対して賠償金の責任能力なしという事に関してはなるべく賛否両論になってほしくないですね。

各施設の緊急設備に対しの管理責任が薄くなってしまわない為にも、司法の𠮟るべき民事裁判の判例を期待したいと思います。