前回の記事


そうそう、、
陽から陰に転じたのには

ツインレイっていうのが
キーワードだと思う。



最愛のパートナーに出会う
道の途中だからなのかもしれない。



とかいってさ、

陰極まって陽

の逆な
陽極まって陰ってのが

ツインレイって感じがするのはわたしだけ??



この道が始まったときには
読みあさったよ色んなツインレイ説を。



答えは
どれを見ても出口なんてなかった。


でも、
その道を通ってきて分かったのは

「人参をぶら下げられた馬」

から抜けれるかどうかだった。



ツインレイでよく書いてあるじゃん。


真逆の人に出会うって。



わたしは社会不適合タイプで
彼は社会適合タイプで

っていうお決まりのやつね。



真逆の位置にいる人に出会ったとき
なんであんなに惹かれるんだろね??



双方の凸したものを
双方の凹したところに欲しいんだよね。


でもあげれないの、

なんなのこのゲームって感じだったよわたしも。



だから自己統合っていうんだよね。

自他融合とは言わないもんね。



彼が欲しかったわけではなくて
わたしの中に彼を作りたかったわけじゃん。



その制作過程ってのが
陽から陰に落ちてく

破壊と再生の時期だよね。



わたしはそれまで
猿なみの頭脳で生息してたんだけど

彼に出会ってからは
セラピーという業界では

研究してきました!
って言えるくらいまでは

頭脳を使えるようになったんだよね。



でも不思議なことに

技術が完成したら
もう頭が使えなくなってきたひらめき



わたしは
お気楽なのが好きかもなーと思う。


今は全く
彼になりたいなんて思わない。


だからか、
彼を欲する気持ちも無くなってる。


わたしはわたしでいい、

そう思えたとき、
自己統合に必要だった彼という

ずっと目の前にぶら下げられた人参は

別に食べなくて良いやー!ってなった。



つまり
幻想から覚めたんだよね。



ただ、
彼のエネルギーが必要だっただけで

手に入らない
彼という人参役が必要だっただけで



凹という枯渇感というものは

足りない、じゃなくて

要らないものがあった

っていう逆説で



だったら
器をひっくり返して流しましょう

っていうのが
自己統合っていうプロセスなんだと思う。



ただただ
現象が変わってくんだよね。


自分を大切にしたら
人からも大切にされるよ、とか。


まさにそう。


凹ってのは
足りない、じゃなくて
要らない、なんだよね。


凸はあるじゃーん!

だね。


凹が要らないもの
いっぱい抱えてるときは

凸は有る!有る!なんだけど


凹がキレイになってくと
凸は在る!在る〜!になるの。



主張から存在になるんだよね。


ここまできたら、
第二チャクラが開花してくる🌸



ツインレイと思ってた人と
統合ならず!な人ってのは

第七から第一にかけて
昇華が進むから、

地道に歩むしかないよね。



でも、着実なんだよね。



わたしはナゾです、

この人だ!って体現あるパートナーは
まだ見えてないから。


そう、
出会ってないっていう表現も
違う気がしてきたんだったー。


未だ出くわしてない、って感じ。



その姿が実物として見えるまで
わたしはあそんでるーー!


っていうところまで
今は来てます。


こうなれるまで
苦しかったんだよねー!



苦しすぎて
まだか未だかって、


ひーひーしてた。



とりあえず、
幻想世界からは抜けれたから。


フェイクな真逆の彼の
エネルギーを取り込んで

わたしを
ひっくり返す作業は終わったから。


(時々くるけどね)

ダークでバッド入るとき、
ちょろちょろあるけどねランニング



ほんときらい、、

でもスッキリ抜けたときは
あーよかった、になるけどね。



あ、長くなっちゃった。



また書くねー!スター