本来の自分自身を思い出す、
これはわたし達の課題だと思う。
とは言っても
そもそも本来の自分って
じゃーなんだよ?って
思うよね、、わたしもそうだった。
わたしらしさとか
自分らしさとか
どうやって見つかるかって
どうしたら
その答えという正解がわかるかって
それは
すっごく単純に
満ちるかどうか、
なんだと思う。
その満ちるってのも
頭ではなくて体感がそうあるのか
なんだよね。
久しぶりにわたし今
バーカンに立って
フラダンスをやりだして
しあわせでたまんねー!って
なってるんだよね。
フラは15年前くらいに習ってた。
わたしがフラに出会ったのは
波乗りしてる時
よく海で会ってた
美しい人との巡り合わせで
その人のフラを見たとき
あまりにも美しすぎて涙が出て
それから
ハワイアンソングに
うっとりするようになって
海辺で
波や風や雲や太陽や大地や
色んなものたちとひとつになる
そんな想像が膨らんで
フラダンスを習い始めたんだよね。
当時は
飲食店経営をやってて
子育てもあるし
波乗りもしたいし
お店もやんなくちゃで
そこに
あの美しいフラを取り込んで
継続するのは難しかった。
あの日々から
色んなことが様変わりしてる今
お店もたたんだ
離婚もした
それから
ちょっとどころじゃない
鬱みたいになって
そうこうしてるうちに
子どもたちは
手が離れちゃって
何とか
絶望と暗闇から
希望と光明にシフトしてる
そんな今だからか、、?
またバーカンに立って
またフラを踊ってるわたしがいる。
でも、あの時と違うの。
何が違うかって
こんなに幸せじゃなかったってこと。
バーカンに立ってたり
フラを踊ってたり
あの頃と同じことやってても
幸福度が全く違うの。
本来の自分自身に出会うって
本来のわたしという源に還るって
一体何なのかって
何かをやる、
から出会えるわけではないってこと。
足すことで得れるものでなく
引くことでたどり着くものだって
わたしは理解をしている。
昔のわたしが触れなかった幸せを
今のわたしは触れてる
それは
心身がそうであると教えてくれている。
やればいいってもんじゃなくて
どんなわたしがやるのか?
なんだよね。
引いては捨てて
捨てては引いて
色んなものを手放してきて
わたしという内なる世界は
あまりにも
静かすぎて
凪ぎすぎて
孤独がどこまでも広がるけれど
この何にもないわたしが
外側と繋がるときには
ものすごく満ちるし足りる。
孤独を知らないままな
あの日々も良かった気がする。
でも
孤独を知った今も
すごく良い気がしてる。
けっきょく、
失うものってナーンにもないんだよね。
わたし達にある
失う、という感覚は
離れる、なのかもしれないね。
離れる、ということは
違うところにいる、なだけなこと。
過去の記憶が今を見ると
きっと失って見えるんだよね。
あったものがない、
でもそれは
あったところから
ただ自分が離れてるだけ。
今いる地点から
動きをどうみるのか、
そこに
心情というものが映し出されてる。
好きだったものが
ホントに好きなんだって
感じられるのは
抱えてたものを
たっくさん手放して
身軽になって
余計なものがないからこそ
だね