暮れ行く中ですら気づいた。
砂塵舞い上げ、此方へと迫り来る馬の姿に。
「馬だ。馬がくるぞ!」
門楼の上階の兵が大声を張り上げていた。
『何だ!』
開け放たれた門の両側守る門衛の兵が、上の兵士の指差す先の其の光景に、思わず先程点けたばかりの篝籠の松明を手に、馳せ来る方向を照らしていた。
「号牌でもあればなぁ。」
馬上馳せながら、トルべ。
柄にも無く小胆な言葉漏らしてしまう。
高麗時代に中国の制度を真似て始まったされる「号牌」であったが、上手くいかず何時の間にか廃止されていた。
だが、次の瞬間、何かを思い立った様に、門衛持つ松明を馬上器用に體を横に倒し瞬く間、その松明を取り上げてしまった。
まるで今、馬を馳せる者が何処の誰であったのかを、態と門衛に知らせるかの様に。
馳せるトルベは宮城南大門を出る際に、門番の兵から謂わば奪い取った松明を片手に腹を括っていた。
数ある大城門の中から、此の大門を選んだのには、ちゃんとした理由があった。
此の大門に至るまでには、開京一の繫華街南大街の目抜き通りを駆け抜けて行かねばならない。
そうすれば、例え暮れ行く薄闇の中ですらも、馬馳せる二人の姿は否応なしに目立ってしまうだろう。
「此の様にして、目立っておれば。必ず。」
根拠など無かった。
だが、テジャンならば、必ず医仙を護りに来る。
そんなチェヨンの耳に、馬馳せる二人の事が、入るに違いないとトルべは賭けに出たのだ。
そして、トルベは、はたとある事に気づく。
迂達赤隊のトルベの馳せる馬に、事もあろう医仙は怯む事なくぴたりと併走していたのだ。
女人の身で。此の迂達赤馳せる馬に併走なされるとは。
まっこと。医仙とは不思議な女人よ。
治療を為される時は、我らが剣を持つ時の如き、武人の様なお顔つきになられ、またお怒りになられる時の、あのお顔は、実に恐ろしき般若の如きお顔になられ、そして、先刻の何とも言えぬようなお可愛いらしい顔つきもなされる。
また、あの小さな口をついて出てくる言葉もだ。
幼子の如き我が儘な時もあり、また何とも筋の通らぬ言葉を発したかと思うと、その直ぐ後からは、此方の胸を突く様なな的確な言葉を投げられたりと。
多くの女人を口説き落としてきたトルベにも、此の医仙という女人には、些か面喰らう事も多かったようで。
医仙の事を彼是と思ううちに、トルべ。
「い、いかん。あのお顔が・・・。」
彼の頭の中に、行き成りあの時のウンスの泣き笑いの顔が浮んでき始めた。
その顔を思い浮かべると、トルベ。
彼の胸の奥がキュンと痛み、また心臓は早鐘の如き鼓動を刻み始め。
「いかんぞ。トルベ。あの方だけは、絶対にいかん!!」
自分の頭の中の残像を掻き消す様に、トルベは大きな声で自分を戒めていた。
「한의선생(ハニソンセン)きっとビックリするわね。」
馬を馳せながら、ウンスはうきうきしていた。
トルベが抱えて来た花を見たウンスは驚愕した。
あの花はケシ。
芥子の花の一種で、アヘンケシに良く似ていたからだ。
芥子には、アルカロイドである「アヘン」の成分を含んでいる花も多い。
現代でも処方される「アヘン」を此の花から抽出出来れば、手術の術後管理がよりしやすくなる。
そして、何よりも、そのアヘンから「アヘンチンキ」を作れば。
此の時代に「疫病」とされていた病の殆どは、その症状が軽減されるはず。
後、傷を負った時の痛みの軽減にもと、ウンスは考えていた。
近年、法規制されるまでは自生していたとされる芥子。
現在に於いては、アヘンを抽出できるような花は目にする機会など無いに等しい。
でも、此の高麗の時代なら。
アラビアから伝わった種が、此処で自生していても不思議ではない。
だって・・・北では。
韓医学の専門医の言葉が甦る。
「植物の「毒」って薬にもなるのよ。」
日本とは違い韓国は、漢方医にも「医師国家資格」を与えている。
故に、韓方医になるためには、大学の韓医学部で6年間学ばねばならず、また専門医資格を得るには、韓医師国家試験に合格した後、インターン、レジデントを経てと、西洋医学の専門医と同じ道を進むのだ。
そして、此れが日本との最大の違いで、韓国では「整体」と呼ばれる柔整体と按摩の様な施術も、此の医師資格を持った者にしか許されていないのだ。
「私が韓方医なら此処に来ても・・・。あッ。そうだった。外科医だから此処に・・・。」
西洋医学を学んだ、ウンスでも知っている事。
それは、あの華陀の「麻沸散」と華岡青洲の「通仙散」。
「麻沸散」は、曼荼羅華(チョウセンアサガオ)やジャスミンを主成分とし、華佗は此れを術前に葡萄酒と一緒に、患者に与えて意識を失わせたと。
また、記録として残っている全身麻酔による外科手術は1804年、日本の江戸時代、華岡青洲が行ったと。
でも、今は・・・1350年代。
なら漢医先生のあの薬には・・・きっと、朝鮮朝顔を使っているはず。
それに、此のアヘンがあれば。
それを考えると、自然とウンスの表情が緩んできていた。
アヘンを収穫方法は「へら掻き」と呼ばれる。
ケシの開花後、10~20日経って花弁の落ちた未熟果(ケシ坊主)の表皮に、朝のうち浅い切り込みを入れると乳液状の物質が分泌する。
これを夕方ヘラで掻き取って集め、乾燥させると黒い粘土状の半固形物になる。
これが生アヘンである。
この生アヘンをかき集めようとウンスは、その場所をいち早く知りたかったのだった。
そして、其の後、其の場所を開墾し、二度と其の場所でケシが自生出来ないようにしておこうと、ウンスは決めていた。
移植では育たないケシ種は、種を採取し、また種を捲くしか育てる方法がないとされる植物。
その種を採取するまでがウンスの仕事だと勝手に決めていた。
芥子を栽培するなら薬草園でが、ウンスの考えだったのだ。
・・・医仙。此処です。
トルベは馬から降り、ウンスの騎乗する馬の手綱を握っていた。
トルべの持つ松明に照らされた、其処はには。
咲き乱れる花々の中に、既に花弁を散らした花や、其れ等の中には「ケシ坊主」になりかけた未熟菓も見えていた。
それらを確認したウンス。
松明を持つトルベにいきなりこう切り出していた。
「トルベさん。もう帰って・・・」
「はぁ?」
トルベは驚いていた。
行き成り、物申す間もなく、此の様な場所まで案内させておいて、着いた途端に帰れとは。
それに、もう夜ではないか。
「医仙。帰れとは?」
「ああ。ごめんなさい。明日、早朝に人を連れて来てほしいのよ。」
「それは、かまいませんが。此処に医仙様、お一人を残すわけには・・・」
このトルベの言葉に、ウンスは訳あり気に笑っていた。
「・・・多分、一人には、ならないわ。」
此のウンスの言葉に、妙に得心したトルベ。
「承知仕りました。」
と馬に騎乗すると踵を返し、瞬く間に夜の闇の中へと消えていった。
開京の街を馳せるヨンは頭を抱えていた。
馬を馳せ行く先々で、ある方向を指さす人々に会っていたからだ。
そして、それらの人々が指刺す先は、都城南大門。
その南大門では、無言のヨンに「東江河原です。」と、問わず語りに門番が答えていた。
トルベの奴。
ヨンは、トルベの思慮に感服していた。
♥華岡青洲の通仙散について・・・
http://challengers.terumo.co.jp/challengers/14.html
★韓国で毎年5月15日は「先生の日(ススンエ ナル)」。
毎日学校で顔を合わせる先生や、かつての恩師を敬い、感謝の気持ちを伝える日です。
もともとは1964年5月24日「恩師の日」として始まりましたが、翌1965年に世宗(セジョン)大王の生まれた5月15日に日付を変更、名称も現在の「先生の日」に改称されました。
先生を意味する韓国語「ススン」は、漢字で書くと「師匠」。
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