前記事で記した、「待て。」と静かに制してくれた文章です。
備忘録として載せておきます。

これは、玉川啓さんという方が、
2011.4.13に福島原発の現場に入られて書かれた感想が
「今年(2013)になってから、Facebookでのシェアが急激に増えている。
それは何故なのか、
シェアしてくれた方の「想い」を知りたい。」
と書かれたことに応えて、
Takumi Fukuyama さんという方が書かれた文章です。

***



シェアしたいと感じた理由は。

玉川さんの書いたものに
変な色の着いていない現実が
あり、感じ、行動せなアカン
って思ったからです。

現実を変えるには
まずは、あるがままの現実を
まるまんま鯨飲せなアカンと
常日頃から思ってます。

現実に良いも悪いもなく
色はないと。
ただそこに在る
『厳然』たる『事実』でしか
ないと。

じゃあ現実をただ唯々諾々と
受け入れられるんか?って。

人それぞれ価値観も背景も
全く違います。

泥棒だって潔癖な部分も
法王だってだらしない部分が
当然在ります。
良い悪いは斑模様で悪い部分
だけ腑分けし切り取れるような
もんじゃないし。

僕自身、
女性(心の底から尊敬してます)と
お金(泥棒してでも欲しいが全く興味がない)にだらしないです。
いろんな人に迷惑掛けています。
認めたくないけど向き合わない
といけない事実です。

世の中の全ての不正や問題
変えたいものを一人の人間が
全て抱え込めません。

でも、自分の真ん中にある
小さな声がそれぞれみんな在ると思います。
なかなか大きな声はあげて
くれはりません。
ゆっくり耳を傾けてあげな
話してくれません。
注意深く、静かに。

でも、それを聴いたら、
感じたなら考え行動せなアカン
でしょ。

「おかしい⁉」って感じたら。

東電のやり方や対応は確かに
おかしいと思います。
でも、そこを叩いて溜飲を下げてりゃええのん?
本質ちゃうことでお茶を濁し、
矮小化して済む問題なん?

誰が言ってはったかは
憶えてませんが、
「日本人は本当の怒りを
知らない。だから忘れる」と。

ホンマの怒りが無ければ
ホンマの許しも無いと思います。

大は東電や政府から
小は5、6人の組織でさえ
保身の為の隠蔽、歪曲、
すり替え、貶めはあるでしょ。

日本特有の隠し味はあるでしょうが、人間そのものだと思います。

ただただ東電を批判するのんは
結局、天にツバする行為やと
思います。

だから、何もゆうな‼って
ことじゃないです。

俺が嫌いなんは、
ビールを飲みながらTVの野球
観戦し嗚呼だこうだと批判しかしない人。
楽しんではるんやったらまだしも、憂さ晴らしに徹頭徹尾批判する人。
これだってたまにならまだ
かまへんけど。
それぞれ色々大変なことあるやろし。

兎に角、学生や青二才じゃあるまいに、
火の粉の掛からんところからの正論にも意味は充分あるけど堪忍して欲しい。

東電、東電って申し訳ないけど
何の恨みも遺恨も在りません。

ただそれは、うちらの内にある
物を静かに写している鏡でしか
ないことを認識した上で
声をあげ、行動したいと思います。

意見が違うこと自体は
全然かまへんけど、二項対立
でお互いが背中を向けるんは
正直悲しいです。

対立を超えた道が必ず在ると
心から信じています。

あれから、2年
亡くなられた人達のご冥福を
心よりお祈り申しあげます。

ご遺志は、意思はこんな現状を
望んでないと思います。

皆んなが、頑なな心をいっぺん
解放してあげて、柔らかくならんと前へ進まん気ィがします。

長々とゴメンなさい。

Takumi Fukuyama on Facebook








今年の1月半ば以来、
我が家のそばで、突然強行されようとしていた
開発・自然保護問題にかかりっきりでした。

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それについてのブログを立ち上げました1/21に、
問題の概要はこちらに簡潔に記しました。

この新聞記事で「公聴会で住民2人が反発」とありますが、
この2人は、私の両親です。(笑)

一回きりのこの公聴会は、
十数人の「利害関係者」に知らされたのですが、
出席したのは3人のみ。

つまり、この計画を知らされ、
異議を感じたのは、両親と私しかいなかったのです。

自然に私がブログ係になりました。


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おかげさまで、
地元で強い思いを共有してくださる方々のご衆知のみならず、
全国からも応援とご注視をいただき、
1/29、市の建築審査会で「待った」がかかり、
3/5、県から建築の撤回が公表されました。


今そのブログの最初の頃の記事を読み返すと、
自分は何も知らない、か細い人だったなあ、、
と思います。
かなり学ぶことが大きかったです。
ま、今でも世間知らずだと思いますが、
結構図太く、強気になった部分があります。


(比喩にするのは僭越すぎますが、
自民党の小渕優子さんが、父上の小渕首相の逝去直後に
国会議員に初当選された時は、
いかにも純朴なお姫様だったのが
いつの間にかチャキチャキした姐さんに変貌されたのが
今はすごく納得できます・笑)***


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その問題の建築申請者である大学の
当事者意識・主体性や、社会的責任の認識のなさすぎに気づき、
強い怒りを感じるようになって以来、私は
「『悪い』ものを責める中毒」にはまりかけていました。


人に対してネガティブな感情を強く持つとき、
実は、それは自分に対して持っている感情の投影なのだと感じたことが
今までのなかで、僅かながら、あります。


おそらく、その大学に対して私が持ち続けている
「当事者意識・主体性や、社会的責任の認識がなさすぎる!」という怒りは、
両親から溺愛・過干渉されて箱入りで育った私が
現在も、自分自身に抱いている怖れや怒りなのかもしれません。


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。。すみません、まだ思いが熟していないのですが、
以上、気持ちを整理したくて書きました。


次の記事で、私に
「待て。そのサナルコの件についてはこれ以上書くな。中毒になってる」
と静かに伝えてくれた、
Facebookで出会った或る書き込み*を、
備忘録として掲載させてください。





***

*kさん、この件の途中で、私から質問して
よく似た意味の言葉を答えてくださったのに、
そのときは置き去りにして突っ走ってしまってゴメンなさい!

**この記事冒頭の写真は、その建設予定地入江の葦原です。
また、鳥の写真は、その湖で撮影されたもの。
いずれも、撮影された方のご快諾をいただき、そのブログでご紹介いたしました。

***蛇足ながら、私は支持している政党はありません。






合宿が終わって帰宅したら、身体が半断食モードになっていてびっくりしました。
合宿中は、一日二食のお食事(美味しい!)が楽しみで仕方なかったのに。
晩酌のワインもぜ~んぜん、いらないというか、
ワインのことなんか、思い出しもしないし。

ま、2週間を過ぎたら、
すっかり元に戻ってしまいましたが。
お恥ずかしい。(^_^;)

二ヶ月近く経った今は (註:2012年4月にこの文章を書きました)
やはり毎日の瞑想の継続が大事だなと
改めて実感していますが、
二月の瞑想合宿以来、
なにかが、加速度をつけて、どんどん良い方向に向かっている実感があります。

瞑想合宿を紹介してくださった、こーいちろーさんの主催する、
ヴィパッサナー瞑想をベースとした、
『アニカヒーリング』のコースにも参加しています。
これも、 ものすごく楽しくて。
ヴィパッサナー瞑想がベースになっていると、変化が速いんだと思います。
これについては、また改めて。(^ ^)


仕事の治療費も5月から値上げします。
住まいも、両親の8年越しの計画だった
弟一家と住む二世帯住宅がやっと建ち、近々引っ越します。
瞑想合宿が、なにか人生の大きなシフトの引き金になってくれた、
という感じがあります。


心配して大反対してくださった大阪の師匠には、
二月末の勉強会の数日前に、
「ご心配おかけしました~。今月も伺いますのでよろしくお願いします!」
とひとこと、お電話しましたら、
私の声の様子で安心されたようで、
「おぅ、そうか♪(^。^)」と喜んでくださった。よかった。(^ ^)

3月の勉強会では、師匠に
「なんかこの頃、どんどんいい感じになっていくなぁ。
今までで一番いいんちゃう?なんかいいことあったんか?」
と言われてしまった。

びっくりして、
「はぁ…、毎日なにかしら(いいことは)あります」と答えました(笑)
14年間、ずっと私の様子をみてくださっている師匠に
「今までで一番いい」って言って頂いて、嬉しかったです。


…以上、
マイミクのKさんの、
「元気になるツールとしてのヴィパッサナー瞑想」というスタンスや、
同じくPさんの日記の
「瞑想の方法やシステム云々以前に、瞑想を実践する基本姿勢に、
実はもっと重大なことがあると感じています。」
という文章に、とても共感しておりましたので、
遅ればせながら、サクッとご報告してみました。

長文におつき合いくださって、感謝いたします。


(2012.4.18 記)




大阪の仕事の師匠が、私の瞑想合宿の参加に大反対したのは、
一般的には(笑)、
瞑想をする人って顔の色つやが悪く、なんか潤いがなく不健康で、
頭から首肩がガチガチに緊張していて観念的で、
あまり人と親しまない…、
瞑想とはそういう雰囲気の方がはまってしまうもの、
というイメージがあるからだ、と気づきました。

(そうだよね。
私も3年前に、ホ・オポノポノに出会って瞑想にふれるまでは
そういうイメージだったから、瞑想なんかしようとは思わなかったもの。(^_^;))

ウ・コッサーラ西澤長老との個人面談のときに、それをお話したら、
「(瞑想の)取り入れ方は人それぞれですからね。」
とニコニコしながらおっしゃっていました。


その面談のあと、改めて、他の参加者の方々のお姿を拝見すると
皆さん、物凄くベテランの、リピーターの方がほとんどなのですが、
健康的なニコニコすっきり人生、というよりも、
深遠で哲学的な人生を歩んでおられる印象をうけました。

私はむしろ、合宿3日めあたりで瞑想がやりやすくなってから、
身軽に、ケロっと元気になっていったのです。


…余計なことを書きました。(苦笑)
人それぞれの、好みなんですよね。
ひと様のことはいいんです。
私が身軽になれればよいのです。
明るく、穏やかに、健康になる瞑想をしていきたいと思います。

そう、整体でも瞑想でも、なにをしていても、(してなくても、)
福のある顔がいいな。(^ ^)
それが私の好みなんです。(笑)


プラユキ・ナラテボーさんのご指導くださる手動瞑想って、
明るいほうに行きやすいのではと思います。
基本的に目をあけて行いますものね。
動きそのものも、自分の心をケアしてひらく•手放す、って感じがありますし。
(告白しますと、最近は座り瞑想ばかりやっているのですが!f^_^;)

脱線しますが、
ずばり「整体は瞑想を深めるためにある」と仰る、
氣道協会の長谷川浄潤先生が、以前、
「頚椎4番がねじれていると、瞑想への執着が起こりやすい。
でも、そのねじれがあると、瞑想が非常に頭でっかちというか、
空回りしてしまいがち」
という意味のことをおっしゃってたのも思い出します。

決して、
熱海でご一緒したベテランの方々をそう感じたわけではありません。
この長谷川先生のお言葉は、ただ思い出しただけです。


話を戻しますと、
ウ・コッサーラ西澤長老のご指導くださる、熱海仏法学舎での瞑想合宿は、
日本国内で集中的に、かつ自分自身のペースで無理なく
ヴィパッサナー瞑想を体験したい、という方には、
とてもよい場だと感じました。



(追記)
毎夕、合宿参加者全員で行う瞑想のあとの、自由な質疑応答のとき、
或る方が「すべて起こることは因果論で説明できるはずですよね?」
という感じの質問をされたのです。
ウ・コッサーラ西澤長老は、何回かとても丁寧に受け答えをされたあと、
淡々と「まぁ、でもね。答えないほうがいい質問ってあるんですね」
とおっしゃり、私は内心「この先生、最高!!」と内心ガッツポーズでした☆





この合宿でご指導いただく瞑想は、
呼吸をしながら、お腹の動きを観察していく座り瞑想と、歩行瞑想です。

最初の2日間ほどは、朝5時の勤行と瞑想に始まる
毎日の日課と雰囲気に慣れることで精一杯でしたが、
慣れてくると、とても密度の濃い体験をしました。

私はふだんから、野口整体の活元運動
(動く坐禅、と表現される方もいるようです)に親しんでいるためか、
意識が、というよりも、
身体が瞑想に反応した、という感じでした。
アタマと身体の大掃除になりました。
また、整体や経絡(ツボのルート)の理論を体感する、
とても貴重な機会にもなりました。


話がとぶようですが、
一年半前、ホ・オポノポノのKR女史の大阪講演会で、
KRさんは私の質問に、3~4人分くらいの時間をたっぷりとって、
丁寧にご説明くださったんです。

その間、KRさんは説明してくださりながら、
ご自分と私と、私の質問とその場全部を、クリーニングされてたのです。

その数日後、私は
強烈な立ちくらみと言えるほどの、クリーニング体感を経験し、
「講演会でのKRさんのクリーニングがこれだ…」と感じたのですが、
この熱海での合宿中、まさしくそれと同じ体感が訪れたりしました。

KRさんが、「クリーニングとは、Years of year's meditation」 とも
語っていらしたのを思い出します。


また、三年前に参加した、
氣道協会の7日間連続講座 「氣道の学校」で、
瞑想の基本は学んでいるんだな、とも改めて感じました。