昭和20年国民学校1年生クラスメートにも

集団疎開の児童がいました。当時はこの言葉は

しらなんだが後年知ることになる。夜になると

空襲警報のサイレンが鳴る。暫くすると探照灯(サーチライト)

が空を照らしB29が夜空に浮かびあがる、名古屋市方面の

空が赤くなり燃え盛る。こんな時代でした。終戦になり

親元に帰った人やらそのままこの地で生活したりした

人もいたが戦後落ち着いた頃にはいなくなった。