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取り敢えずのところ
引き続き私がヒナギク先生の
担当をすることになったので、
保育中に何か困ったことや
他の先生とのトラブルが
あった時には、その都度
話をするようにしました。
 
 
 
基本的にヒナギク先生は
言葉を知りません。
 
 
 
上司と先輩の言葉の使い分け、
状況に合わせて言葉を砕いて
フレンドリーに接していい
時もあることも知らない。
 
 
 
友達や先生や家族以外との
大人との接点が取り敢えず
少なかったので、その辺を
少しずつ教えていきました。
 
 
 
そして
 
たかが
パート
 
も訂正しまくりました。
 
 
 
世の中にはパートでも
正社員と同じくらいに
仕事をしている人もいるし、
状況的に正社員になれない
だけで私は職務内容も
正社員の役持ってる人と
同じレベルを行っていること。
 
 
 
自分の仕事の責任と誇りを
持って行っている以上、
そういう言い方をされると
腹が立つし、他の人に
 
たかが〇〇
 
という言い方をすることは
物凄く失礼であることを
しっかりと伝えたところ、
なんとか理解してくれた
ように思います。
 
 
 
少なくとも私や他の
補助の先生の前でそういう
発言はしなくなったし、
若干舐めた態度取ってたのも
なくなっていきました。



ちなみにこのたかがパート発言は
どうもお父さんの影響らしい。



お母さんがパートで働いて
いることに対して、その手の
発言をずっとしてなじって
いた話もされたので、

それは父親の言葉の暴力。
証拠集めたらDV認定される
レベルの発言。
 
ということを伝えました。

 
 
そして基本的に受け身で
教えてもらうスタンスでいること
なども、社会人になったら
通用しないことを伝える。
 
 
 
これまで工場のバイトなどでは
指示される仕事をこなして
くればよかったけど、
今のヒナギク先生はその
指示をする側の人間になるための
勉強をしている途中なので、
指示を待つだけではなくて
自分から考えて提案して
いかなくてはならないことを
伝えていきました。
 
 
 
これも訓練と思って、
一週間の保育の中で気付いたことや
疑問に思ったことをメモって
もらって、それを週末に
何個か選んで話し合う時間を設け、
 
なぜそう思ったのか。
 
解決するには
どうしたらいいのか。
 
を二人で話し合う
時間を作りました。
 
 
 
内容的に殆ど保育のことでは
なかったけど、対人関係を
磨くためには人に気持ちを
伝える方法を考えて、それを
適切な言葉で表現する技術が
必要になって来るので、
それを繰り返し行うことで
対人技術のバリエーションを
増やしていきました。



言葉の言い換えも
積極的に行いました。



例えばヒナギク先生は

おかしいと思います。
○じゃなくて×ですよね。
 
という言葉をよく使って
いたんだけど、それを先輩に
そのまま言うと喧嘩腰のように
思われてしまうので、
保育園内で他の人に伝える時は

質問があるのですが、
○じゃなくて×では
ないのですか?

などの言い換えを行う。

 
 
その効果があってか、
1か月経つ頃には目に見えて
ヒナギク先生の言葉が
変ってきて、少しずつ
変っているのがわかったら
周りの先生達も態度を
軟化させてくれました。
 
 
 
特に元来真面目で面倒見の
良いナデシコ先生や、
温和でのんびりしたツツジ先生は
積極的にヒナギク先生の
話を聞いてくれるように。
 
 
 
ダリア先生は相変わらず
言い方はきつかったものの、
ヒナギク先生が積極的に
質問したり考えたりして
いるのを見て、その姿を
認めてくれているようでした。



相変わらず口喧嘩はしてるけど、
前みたいに最終的にブチ切れする
状態は少なくなったと思う。
 
 
 
異動してきてから最初の
1か月は地獄みたいな空気が
漂っていたし、他のクラスの
先生達もヒヨコ組さんを
腫れ物に触るみたいな
扱いしてたけど、ちょっとずつ
空気が良くなったことで、
周りのクラスの先生達も
ヒナギク先生を受け入れて
くれるようになっていました。