意志確立
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八月入場

瞬く間に過去へと押しやられた七月にこれといった挨拶を交わす事もなく 八月は流れるように灼熱の暑さを携えてやってきました

僕はそれをただただ大量の汗で堪え凌ぐ毎日を繰り返すわけであって 油っこいアスファルトの焼けた匂いや 夕立のくる頃の独特のあの匂いは 夏の訪れを感じずにはいられないし 決してそれらを歓迎してはいないのだけれども それでも八月はなかなか心が踊るわけで待ち遠しかったりもする月であるのです ようこそ八月


待ち遠しいとはいえ やはり暑過ぎるのはとても欝陶しいわけで 年々暑さへの耐性が弱くなってきているのか はたまた温暖化の影響なのか 去年はこんなにも暑くはなかったんじゃあないのかい?と毎年のように言っている気もするんですが 温度計にちらりと目をやれば 何の事はない例年通りなのですからやはり体力の衰えをひしひしと痛感してしまうわけです
しかしそんな時に冷蔵庫の中に缶ビールが入っていようものなら 今まで僕の体力をじりじりと奪い苦しめてきたこの灼熱の暑さも一気に缶ビールを引き立てる為だけの名脇役になるわけですから やはりこの暑さはなくてはならない存在なのかなと思ったりするのです

先日 酒屋をやっている友人から試供品のビール(発泡酒)を貰う機会があったのですが その日はじめじめとした熱帯夜でとても過ごしにくかったというのに ビールをごくりと飲んだその瞬間から じめじめは一気にその存在を潜め ビールの美味しさを引き立てる為に脇役に徹するという粋なはからい

暑さとビールの旨さとは間違いなく比例の関係にあると僕は思うわけです

常日頃からビールを飲みまくる生活を送り お茶よりも水よりもどんな飲み物よりもビールの僕が言うわけですから間違いないです

この文章を書いている今もビールを飲み煙草をくゆらせながら書いているのだけれど 蒸し蒸しする部屋で冷房も入れずにいるのはすべてビールを美味しく飲みたいが為であってそれ以上の理由もないのです

そして蒸し暑いこの空間も今はただの脇役でしかなくて 僕には主役のビールしか見えてないもんですから 暑くもなく非常に快適な空間となっているのですが 確かにここに暑いは存在しているみたいです
どおりでビールがうまいわけだ

タイムイズ半端ねー


やりたい事 やらなくてはいけない事が山積みで目の前を覆い隠されっぱなしなのはまぁいつもの事なのですが ぼちぼちと一つずつやっていけばいいやろ!とゆる-い気合いを入れるギリギリ24才 夏 みなさんいかがおすごしでしょうか?


ちなみに僕は来月25才になるわけですが もうすぐ20代の中盤に差し掛かるのかと思うだけでゾッとしてしまうし 中盤などというものはもはや終盤戦でしかないし時の流れはこんなに早いの?と俄然焦りの毎日を過ごしてるわけです


それでも一日一日を有意義に過ごそう!的な目標を果敢に立ててみたりもするわけですが 一体どう過ごすのが一番有意義なのかがわからないし 有意義の定義は実に曖昧で不安定なものだと思います

丸一日どこにも出掛けずに家の中で過ごすというのは有りか無しかで言うならば有りなのですが 早起きして家事を一通り済ませた後はショッピングに洒落たカフェ 映画鑑賞 夜は居酒屋なんていうのは色々やりすぎていてなんかもうゴチャゴチャし過ぎていて無しです


誰が何をしたところで一日は二十四時間なわけだし 時計の針を戻してみたからといって時間が戻るなんて事は決して有り得ないし当たり前の事実
太陽が浮かんできて沈んでゆくという一定のリズムを人間が勝手に一日と言っているだけの事なのでそれはやはり一日であるのだけれど 人間の勝手で決めたものだから地球からしたら一日なんて概念はこれっぽっちもなくてほんの一瞬なのかも知れません


そうなってくると時計ってのはただの数字を指し示すだけの装置であって 指された数字を確認し次の動きを人間がしなくてはならないというなんとも面倒臭い装置という気がしてきました

それ以前でもそれ以後でもなく今現在何をするのかを決めているのは時間であり時計であり自身ではないわけで 無意識にしかし決まった数字に常に翻弄されているからこそ安定した生活が送れるのかもしれません


そして今日も決められた数字通りに電車に乗って通勤し 決まった数字まで働きたいと思います

白い目ぐるぐる

真剣はいつだって脳みそをぐるぐると駆け巡って沈黙を生み出す
色々と考えている事はぶくぶくと膨れ上がって気泡になって音になる前に割れてなくなる

頭の中なんて見たこともなけりゃあ 見たいと思ったことも無い
きっと頭の中は水槽の様になっていて その水槽には水がびっしりと詰まっていて 発する言葉は泡の様にぶくぶくしているに違いないという仰天な発想を中学生の時 真面目に考えていたわけで それを今でもたまにふと思い出す時がある


記憶は水槽の底に敷き詰められた砂利の一粒一粒に詰まっていて 似たような記憶の砂たちは集まって敷いてあるわけ
一粒掴むとその記憶を思い出し 周りにあった砂利は掴んだ勢いで水槽の中を漂い 掴み易くなる

「そうそうそういえば…」みたいな会話はこれのせいで起こるわけと中学生の頃の僕は周りの友人に力説していました

きっと白い目で見られていたに違いないです

ところで どちらが良いのかがたいまだに分からなくなったりするわけですが実際どっちが良いのでしょうか?白と黒って

白星と黒星なら白星の方がいいし 白黒はっきりさせようと言う時の白は善で黒は悪になるのに 目になると立場が逆転する不思議
白い目と黒い目

うーん ややこしや
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